ほうじいん|単立(元臨済宗相国寺派景愛寺塔頭)|樹下山
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寳慈院(宝慈院)の編集履歴
2024年09月30日 01時29分
宗派
単立(元臨済宗相国寺派景愛寺塔頭)
編集前:単立
名前
寳慈院(宝慈院)
編集前:宝慈院
ふりがな
ほうじいん
通称
旧千代野御所
ご由緒
宝慈院(ほうじいん)は、上京区衣棚通寺之内上ルにある元臨済宗の尼門跡寺院で、山号は樹下山。「千代野御所(ちよのごしょ)」と称されている。
鎌倉時代中期の弘安年間(1278年~1288年)、日本で最初に女性として禅僧となった無外如大禅尼(むげにょだいぜんに)が開山した景愛寺(けいあいじ)が西五辻東町にあり、その塔頭の一つとして「資樹院」が創建されたが、後に「宝慈院」と改名された。
南北朝時代、宝鏡寺を創建した光厳天皇の皇女 華林恵厳尼(かりんえごんに)が住寺となって紫衣を許され、無外如大禅禅尼の幼名「千代野姫」に因んで「千代野御所(ちよのごしょ)」と号した。それ以降、宝慈院の住持は、皇族か公卿の女子と定まり、江戸時代には比丘尼御所(びくにごしょ)の一つに列した。
本山の景愛寺は、足利氏の庇護を受けて、京都尼寺五山(景愛寺・檀林寺・護念寺・恵林寺・通玄寺)の第一位として繁栄したが、応仁の乱の後、衰退消滅して、宝慈院に寺宝が継承されている。
ご祭神/ご本尊
阿弥陀如来
参拝時間
通常非公開
山号
樹下山
院号
寳滋院
巡礼
洛陽四十八願第13番
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