だいこうみょうじ|臨済宗相国寺派本山相国寺塔頭|梵天山
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大光明寺の編集履歴
2024年08月12日 08時49分
宗派
臨済宗相国寺派本山相国寺塔頭
編集前:臨済宗相国寺塔頭
ご由緒
大光明寺は相国寺が建立される以前、暦応二年(1339)に後伏見天皇(1288~1336)の皇后、広義門院西園寺寧子が天皇の菩提を弔うため、伏見離宮の傍らに一寺を建立したのが始まりであり、皇后の法号大光明院を寺号としました。
皇后は玽子内親王、光厳天皇、景仁親王、光明天皇の母として北朝を良く支えられましたが、正平十二年(1357)、六十五歳をもって薨ぜられました。詠まれた歌も多く、「玉葉集」「新千載集」などに載っています。
皇后の孫にあたる伏見宮祖栄仁(よしひと)親王が薨じ、寺内に葬り安置されて以来、伏見宮家歴代の御位牌をまつる菩提寺となっていました。その後一時疲弊し、慶長年間に火災にあうも、元和元年(1615)に徳川家康により相国寺塔頭として再興されました。
明治三十六年(1903)、塔頭の心華院と当時天明の大火で焼失していた大光明寺、及びすでに廃絶していた常徳院の3ヶ寺が合併され、心華院の寺域伽藍を改めて、寺号も大光明寺として再興されます。常徳院の開祖空谷明応禅師木像は当寺に安置されています。また足利9代将軍義尚(常徳院殿贈大相国一品悦山道治大居士)の塔所でもあります。
歴代住職には西笑承兌(相国寺92世)や、明治の禅匠萩野獨園禅師(相国寺126世・特住1世)、近年では大津櫪堂禅師(相国寺130世・特住5世)がおられます。
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