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2024年08月12日(月) 08時26分 bysoo_cyan
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臨済宗相国寺派
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臨済宗相国寺派本山相国寺塔頭
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相国寺第九十二世西笑承兌和尚が慶長三年(1598)八月、豊臣秀吉逝去の後、その追善のため豊光寺を創立しました。 師は天正十二年(1584)二月十九日、相国寺入寺。慶長十二年(1607)七月、徳川家康は豊光寺を訪問していますが、同年十二月二十七日、西笑和尚示寂。豊光寺は以後、漸次頽廃に及び、天明八年(1788)の大火で焼失し、廃絶の運命にありました。 獨園承珠和尚がこれを嘆かれ、明治十五年(1882)子院冷香軒を合併し、その客殿を移し、同十六年(1883)庫裡、玄関等を新築、さらに十九年(1886)信徒井上五郎兵衛氏の隠宅の寄付をうけ、これを書院とし、若干の基金を備え一カ寺として再建されました。 獨園和尚遷化の後、明治三十二年(1899)四月、参学の有志により「退耕塔」が建てられました。碑文は富岡鉄斎によるものです。また玄関に掲げられた鉄斎による「善隣」と書かれた額からは、人はみな平等であると諭された禅師の心が伝わってきます。獨園和尚の著作「禪林僧寶傳」、遺偈(承天閣美術館預)などが伝来しています。 豊光寺の山門は平唐門で、様式上桃山期か江戸初期のものです。柱が側面の蟇股まで延びており、平安時代からの古い伝統を伝えています。
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釈迦如来
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万年山