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2026年02月03日(火) 10時28分 bysoo_cyan
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しょうふくじ
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寺伝によれば,当寺はもと「清水(しみず)庵」、「一條坊」と呼ばれ、浄土真宗の宗祖、親鸞聖人が一時期住居とした旧蹟である。親鸞聖人は布教のため関東にて約二十年を過ごしたが、故郷の京都に戻ってきたのは、六十歳を過ぎた頃といわれる。帰洛後は主に「教行信証」(親鸞の集大成的著作)の補筆完成に精進すると共に、都での教化活動にも力を注いだ。帰洛後の住まいについては、洛中を転々としたが、嘉禎二年(1236)に一条附近にあった清水庵に居住したという。 当寺に残る「御生骨縁起(ごしょうこつえんぎ)」によると、この寺で教化している時、親鸞聖人の歯が抜け落ち、 「秋はつる 落葉は冬ぞ いざさらば 無量寿国の春ぞ なつかし」 と一首詠んだ。 四季の移ろいの中に自らの老いを重ねるというその歌に感動した、弟子の真仏房(しんぶつぼう)平太郎は、聖人に対し、形見に歯を所望したところ、聖人はその願いを聴きいれ、自ら彫った木像を共に与えた。それが当寺の伝わる「落葉の尊形(親鸞像)」であり、その由来である。永正十六年(1519)に本願寺第九世の実如上人は当時の一條坊善正に対し、「当寺が親鸞聖人の重要な旧蹟であること、また落葉の尊形を子々孫々大事に保管せよ」と書状を与えている。
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阿弥陀如来
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親鸞聖人
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一條坊善正
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1519年(永正十六年)