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大雲院のお参りの記録(1回目)
投稿日:2017年07月25日(火)
大倉財閥創始者・大倉喜八郎別邸。
もともとの「大雲院」は、信長の子、織田信忠を弔うために烏丸二条付近にあったとされる二条御所に建立されたもの。
その後、秀吉によって四条寺町に移されたが、昭和に入り同地が繁華街になったことを受け、祇園界隈にあった大蔵喜八郎邸を買い取り、ここを大雲院とした。
本来は信長の戒名「総見院」を名付けたかったがこれは秀吉が大徳寺内に既に菩提寺として建立済みであったため、信忠の戒名を取って「大雲院」と名付けられた。
境内墓地には信長・信忠親子の墓の他、大盗賊・石川五右衛門の墓もある。
また、界隈からも望める「祇園閣」は大倉喜八郎が「いつでも祇園祭の山鉾を見られるように」と建築されたもので御寺由来ではない。俗称として金閣・銀閣に並ぶ「銅閣」とも呼ばれているがやはり御寺の公式ではなく、あくまでも俗称である。
※9月末まで特別一般公開中。(通常非公開)
もともとの「大雲院」は、信長の子、織田信忠を弔うために烏丸二条付近にあったとされる二条御所に建立されたもの。
その後、秀吉によって四条寺町に移されたが、昭和に入り同地が繁華街になったことを受け、祇園界隈にあった大蔵喜八郎邸を買い取り、ここを大雲院とした。
本来は信長の戒名「総見院」を名付けたかったがこれは秀吉が大徳寺内に既に菩提寺として建立済みであったため、信忠の戒名を取って「大雲院」と名付けられた。
境内墓地には信長・信忠親子の墓の他、大盗賊・石川五右衛門の墓もある。
また、界隈からも望める「祇園閣」は大倉喜八郎が「いつでも祇園祭の山鉾を見られるように」と建築されたもので御寺由来ではない。俗称として金閣・銀閣に並ぶ「銅閣」とも呼ばれているがやはり御寺の公式ではなく、あくまでも俗称である。
※9月末まで特別一般公開中。(通常非公開)
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