おおまんどころおたびしょ
御朱印・神社お寺の検索サイト
楽しみ方大政所御旅所のお参りの記録(2回目)
投稿日:2025年11月22日(土) 20時17分06秒
参拝:2025年10月吉日
京都市下京区にある八坂神社の御旅所です。
ビルとビルの間にちょこんと鎮座されています。
ビルとの境界になる土塀と玉垣で小さな境内は守られています。
境内には八阪大神の石鳥居があり その内側は柵で守られています。
残念ながら本殿祠には近寄れませんでした。
京都市の由緒書がありますので 八坂神社との繋がりがしっかりある御旅所だと分かります。
由緒書(駒札)には
ここはかつて 祇園祭(八坂神社の祭礼)の神輿渡御のとき 三基の神輿のうち 大政所(素戔鳴尊すさおをのみこと)神輿と八王子(八柱御子神あはしらのみこかみ)神輿の二基が安置される場所であった。
残る少将井(櫛稲田姫命)神輿は烏丸竹屋町の御旅所に渡御していたが 天正19年(1591)豊臣秀吉により これら二つの御旅所が四条寺町に移築・統合されて 現在の御旅所となった。
天延2年(974)に この地に住んでいた秦助正が 夢の中で八坂大神の神託を受け また自宅かの庭から八坂神社まで蜘蛛が糸を引いているのを見て 朝廷にこのことを奏上した結果 助正の家が御旅所となった。
天文5年(1536)に騒乱のため焼失したが その後に町の人々が小祠を建て 八坂大神を奉祀し 大政所町鎮護の社として毎年7月16日を例祭日と定めたという。
今でも祇園祭還幸祭の時には神輿が立ち寄り 神職が拝礼する。
と書かれていました。
ビルとビルの間にちょこんと鎮座されています。
ビルとの境界になる土塀と玉垣で小さな境内は守られています。
境内には八阪大神の石鳥居があり その内側は柵で守られています。
残念ながら本殿祠には近寄れませんでした。
京都市の由緒書がありますので 八坂神社との繋がりがしっかりある御旅所だと分かります。
由緒書(駒札)には
ここはかつて 祇園祭(八坂神社の祭礼)の神輿渡御のとき 三基の神輿のうち 大政所(素戔鳴尊すさおをのみこと)神輿と八王子(八柱御子神あはしらのみこかみ)神輿の二基が安置される場所であった。
残る少将井(櫛稲田姫命)神輿は烏丸竹屋町の御旅所に渡御していたが 天正19年(1591)豊臣秀吉により これら二つの御旅所が四条寺町に移築・統合されて 現在の御旅所となった。
天延2年(974)に この地に住んでいた秦助正が 夢の中で八坂大神の神託を受け また自宅かの庭から八坂神社まで蜘蛛が糸を引いているのを見て 朝廷にこのことを奏上した結果 助正の家が御旅所となった。
天文5年(1536)に騒乱のため焼失したが その後に町の人々が小祠を建て 八坂大神を奉祀し 大政所町鎮護の社として毎年7月16日を例祭日と定めたという。
今でも祇園祭還幸祭の時には神輿が立ち寄り 神職が拝礼する。
と書かれていました。
すてき
投稿者のプロフィール

くるくるきよせん2995投稿
「すてき」 をくださるみなさま、ありがとうございます。 拙い投稿ですのに、本当に感謝しかありません。 2022年の正月に、ふと思い立って古都の寺社巡りを始めました。 由緒書きを読んだり、お話を伺...もっと読む
ホトカミ見ました! で広がるご縁
ホトカミを見てお参りされた際は、もし話す機会があれば神主さんに、「ホトカミ見てお参りしました!」とお伝えください。
神主さんも、ホトカミを通じてお参りされる方がいるんだなぁと、ホトカミ無料公式登録して、情報を発信しようという気持ちになるかもしれませんし、
「ホトカミ見ました!」きっかけで豊かな会話が生まれたら、ホトカミ運営の私たちも嬉しいです。





弘法 真魚







