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えびすじんじゃ

蛭子神社のお参りの記録(1回目)
京都府五条(京都市営)駅

投稿日:2025年10月29日(水) 21時29分47秒
参拝:2025年9月吉日
京都市下京区にある神社です。
ホトカミの検索で未参拝寺社を調べていて見つけたのでお詣りしました。
東本願寺の裏手(西側)にあります。
町の名も蛭子水町 何か由縁があることでしょう。
ですが由緒書はなく 分かりませんでした。
ネットで調べると 「ガイドブックに載らない京都」というブログに面白い推論と調べられたことが書かれていました。
こちらのブログ面白くて けっこう拝見しています。
有難く借稿させていただきます。
毎年10月20日は当町”えびすさん”のお祭り日。  蛭子水町(下京区)
(その一)
往昔、当町内の井戸から蛭子大御神像を戴き、全町民感激尊崇祀る。
これをご縁に、当町内では毎年十月廿日に御膳行事を奉供し崇拝する。
以後、本願寺の寺内町となり、神様を祀れず、やむを得ず、東山五条の若宮八幡へ移すも、再び時を経て元の現在地に遷宮する。
其の後、元治の兵火(蛤御門の変・1864)で社殿焼失するも、日露戦争・戦揵記念に再建、明治39年10月20日御遷座祭典が盛大に挙行された。
町名”蛭子水之 町”の由来書(寛政10年:1798)
(その二)
当町号を蛭子水町と云う濫觴(らんしょう・起源)は、往昔(おうせき)北側に酒屋あり。その家に井を掘り、己にして水涌き出でる迄堀けるに、
蛭子大御神木像埋もれるを、いただき上げて水をそそぎ、尊重し奉る。
この井水冷泉にして、みがけるが如し。されば蛭子水と申しき。
以下文省略 (京都市歴史資料館 伊藤先生通釈)
(註)別に、明治39年9月(1906)の町名由来書も有り。
(平成18年10月20日 YO記)
明治維新の大火(蛤御門の変1864)にも焼けなかった、我が町内の
貴重な”文化財(古文書)”は今も当町内の蛭子神社に大切に保存されている。
現在の不動産登記簿は、
町内各戸の敷地面積の記録表示した書面資料
町内各戸の敷地面積を記録表示した道路地図
明治初期に京都府発行の地券(今の権利書)
等が基礎と成っている。
蛭子神社(京都府)
正面
蛭子神社(京都府)
これは扁額になるのかな
蛭子神社(京都府)
門の横に穴のあいた石柱が
蛭子神社(京都府)
皇紀2600年記念の石柱
蛭子神社(京都府)
実は奥行きがあります 町屋みたい

すてき

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