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瑞蓮寺ではいただけません
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瑞蓮寺のお参りの記録(1回目)
京都府烏丸駅

投稿日:2024年03月01日(金)
参拝:2024年2月吉日
京都市中京区にあるお寺です。
宗旨宗派は真宗大谷派 ご本尊は阿弥陀如来(?)です。
門が閉じられていたので 中に入ってのお参りはできませんでした。
お寺の周りを見ていると看板が1つ。
茶屋四郎次郎屋敷跡と。
徳川家康を支えた豪商ではありませんか。
大河ドラマでも登場していたので 名前を憶えていました。

当寺のHPがあり ご住職が由緒について書かれていましたので 借稿します。

当寺の建立は、慶長元年(一五九六年)であり、初代住職は 浅井寿好(法名寿幸)である。寿好は戦国時代に近江の国(現在の滋賀県東浅井郡一帯を治めていた大名、浅井長政(一 五四五~一五七三)の一族浅井喜八良(一説に長政の子喜八郎)の子である。
 「姉川の合戦」にて浅井長政は織田信長の軍勢に壊滅状態にさせられたので、一族の菩提を弔いまた争いのない世の中 の実現を念願して右の者を琵琶湖経由で京へ逃がしたという事である。そして、縁のあった徳正寺(冨小路四条下ルに現 存)を頼り、出家して一宇を建立した。
 その初代住職寿幸は寛永十四年(一六三七年)に没している。初めて寺を建立した場所は、堀川通三条下ル東側 であり、堀川に面する地であった。 以来、三百四十年余り十五代に亘りこの地にて寺を継いできた。二代目寿源、三代 目寿傳以降、四代目圓爾から十四代目圓至までは代々「圓」の字を法名に冠した。
 中でも第十二代目の圓順(明治元年没)は本山にて四度講義をし、幾多の書物を著し、本山の嗣講(大谷派の学階で講 師に次ぐ位)となった。圓順の蔵書は膨大なものであり、後述の強制疎開のために大谷大学へそのほとんどを寄託した。
 現在「瑞蓮寺文庫」として七三〇部三千冊余りが人学図書館に蔵されている。 昭和十九年、十六代住職春榮(昭和六 十年没)の時、京都市の戦争疎開政策により、堀川三条下ルより移転し、一時錦小路新町西人ルの民家を寺とし、その後 縁あって昭和三十一年に現行の新町通蛸薬師下ル百足屋町に移転した。
第十八世住職 浅井 仁麿
瑞蓮寺(京都府)
建物は新しく いわゆる山門ではありません
瑞蓮寺(京都府)
全景
瑞蓮寺(京都府)
境内を覗き見しました すみません
瑞蓮寺(京都府)
茶屋四郎次郎屋敷跡 の説明

すてき

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