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そめどのいん|時宗

染殿院の御由緒・歴史
京都府 京都河原町駅

ご本尊地蔵菩薩
創建時代大同三年(808)
開山・開基弘法大師
ご由緒

染殿院は、大同三年春(808)空海(弘法大師)の会期にして、大師入唐歸朝の後當院に留まり十住心論を清書調マされたことから十住心院と称した。
古往は釈迦院或は敬禮寺又は清和院釈迦堂其他釈迦堂(鎌倉期の一遍聖絵巻)とも呼ばれた。本尊は地蔵菩薩にして高サ二メートル余の木彫髁形の立像にて秘佛である。
人皇五十五代文徳天皇(850-858在位)の后藤原明子(藤原忠仁公の息女)は染殿皇后と申し、この地蔵尊に祈願して皇子を降誕された。後の清和天皇である。これより染殿地蔵尊と称されました。
人皇六十二代村上天皇(946-967在位)第三皇子一品式部郷久賀為平親王は、四條中川のあたり(中川は御所より今の寺町通に流れていた川)境域広く家造りされた。染殿地蔵堂も自然この内に含まれ御願寺となって皇子を染殿親王と申した。
六十六代一條院永延元年(987)に東大寺沙門奝然が入宗歸朝し赤旗檀の釈迦像を傳耒し嵯峨野の清涼寺に安置されたが奝然はまた自から御丈三尺余の釈迦像一軀を造り当院に奉納(金蓮寺霊宝庫に現存)これより世に四條京極の釈迦堂と呼ばれた。鎌倉期の一遍聖絵巻に「弘安七年閏四月十六日関寺より四條京極の釈迦堂にいり給ふ。貴族上下群をなして人はかえり見る事あたはず、車はめぐらすことをえざりき一七日ののち因幡堂にうつり給ふ」とある、すなわち一遍上人が大津関寺から入洛四條京極の釈迦堂にて念佛賦算をしたというのはこの寺のことである。金蓮寺よりも釈迦堂の方が歴史も古く、一遍とのゆかいりも深いであるが、室町時代はどの寺社にも属しておらず時の移りとともにその時代の権力者によって次から次にと護持傳耒されて耒たが、偶々足利義満が嘉慶二年十二月二十日金蓮寺に寄進したため本来顛倒して金蓮寺の塔頭になった。

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