ちおんじ
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智恩寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2022年11月06日(日)
参拝:2022年8月吉日
天橋立観光にて立ち寄り、お参りいたしました。 天橋立ビューランドから「飛龍観」を眺めた後に茶屋通りを散策、「黄金閣」とも呼ばれる立派な山門を潜ります。 臨済宗妙心寺派の寺院で、山号は天橋山(てんきょうざん)、本尊に文殊菩薩を安置し、奈良桜井の安倍文殊院(安倍文殊)、山形高畠町の大聖寺(亀岡文殊)とともに日本三文殊に数えられています。 記録上では、醍醐天皇から「天橋山智恩寺」の寺号を授かった904年(延喜4年)を創建の年としていますが、「久世戸縁起」で語られる伝承からその起源は古く神代にまで遡ります。 その昔、神々が日本の島々を創っていた頃、この地は荒海神と呼ばれる龍神に占領され、人の住まうことができませんでした。 その為、伊弉諾(いざなぎ)と伊邪那美(いざなみ)の二神は、中国の五台山より文殊菩薩を招き、竜神を教化することを試みます。 海を越えて招かれた文殊菩薩は千年もの間、荒海神に説法を説き続け、ついには龍神をことごとくを改心させ人々を護る善神へと導いたのです。 その後、荒海神が去った地に神々は文殊菩薩が持つ如意に乗って海へ降り立ちます。 その如意が浮かんだものを「天の浮橋」といい、ここに龍神が一夜にして土を置いて島を造り、天女が降り立って「千代の姫子松」を植え「天橋立」が出来上がったそうです。 また、天神七代、地神二代のあわせて九代にわたってできたこの地は「九世戸」と名付けられたと言います。 智恩寺はこの伝承から近代頃まで天橋立を寺領の一部とし、古来より文殊信仰の聖地として「九世戸文殊堂」という別名とともに今なお天橋立の宗教空間における中心地となっています。 帰りには知恵の餅を買って帰りました。 鉄板ですね…。
智恩寺・山門(黄金閣)
智恩寺・多宝塔
智恩寺・狛犬(吽)
智恩寺・狛犬(阿)
智恩寺・文殊堂
智恩寺・鐘楼門(暁雲閣)
智恩寺・鐘楼
智恩寺・手水鉢(鉄湯船)
智恩寺・松の木に結び付けられた扇子お御籤と文殊堂
智恩寺・無相堂
智恩寺・吉祥弁財天
智恩寺・灯籠(智恵の輪)
天橋立ビューランド・飛竜観展望
御朱印
御神籤・猫(三毛)
御神籤・猫(黒)
すてき
投稿者のプロフィール
らんでぃー371投稿
令和になってから奈良の興福寺を参拝したのをきっかけに、御朱印を集めるようになりました。今では夫婦で神社仏閣巡りを楽しんでいます。妻は置物御籤もコレクションしています。
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