御朱印・神社お寺の検索サイト
楽しみ方編集詳細
2025年10月14日(火) 17時18分 bysoo_cyan
編集前
34.741099112305356
編集後
34.741068255371346
編集前
135.8263402581665
編集後
135.8262705207321
編集前
御霊神社
編集後
(木津)御霊神社
編集後
(きづ)ごりょうじんじゃ
編集後
天平年間(729~749)、聖武天皇が光明皇后とともに全国に国分寺、国分尼寺を建てられた際、東大寺大仏殿建立の余材を以てこの地にも国分尼寺(誓願寺)が建立されたので、この寺の守り神として左大臣従三位葛城王 橘諸兄が造営使となって神殿が造営されました。 御祭神として、木津郷黒山(現在の鹿背山)より大國魂命、生國魂命の二神に遷座給わる時、大白玉が空中より天下りて光を四方に放ち、金剛童子に神移らせて「この地を永く鎮護するため降臨する吾は稲倉魂命」と名乗られたので、聖武天皇は直ちに稲倉魂命を合わされて祭祀され、白玉神社と名付けられました。 また別に現存の勧請記によると、清和天皇の御宇貞観十八年(877)には天下泰平、悪鬼防護の神として天乃穂日命、天津彦根命、活津彦根命の三神を御勧請したともあります。 正徳二年(1712)八月、木津川大洪水により当神社も大きな被害を受けて、古文書の大半も流出したため詳細は不明ですが、これまで自然災害や戦乱、疫病など幾多の困難な時期があり、それとともに社会状況に応じた御神体が合祀されたものと思われます。 その後、享保十五年(1730)に社殿が再建され、名称も御霊神社として今日に至っていますが、現在の拝殿他二棟は、昭和四十九年(1974)十一月、三社所有地の一部を日本住宅公団に売却し、その代金を以て造営され、昭和五十八年(1983)十月に完成したものです。
編集前
《主》藤原広嗣,伊予親王,早良親王
編集後
・大國魂命 生國魂命 稲倉魂命 ・天乃穂日命 天津彦根命 活津彦根命 ・藤原広嗣 伊予親王 早良親王
編集後
JR奈良線・学研都市線「木津」駅徒歩7分
編集後
境内自由
編集後
参道鳥居前、47号線を挟んだところに数台
編集後
天平年間(729年 - 749年)
編集後
橘諸兄
