高野山真言宗
遍照院のお参りの記録一覧
京都府宇治田原にあるお寺です。
宗旨宗派は高野山真言宗
ご本尊は大日如来
です。
織田信長が滅した本能寺の乱の後、徳川家康は家臣とともに伊賀越えをして三河に戻ったことは有名です。
堺から三河まで、とりあえず堺市役所から三河市役所までだとして、今の道で193kmあります。
もちろん当時は今のような道ではないはずなので、相当大変だったと考えられます。
その際、途中立ち寄った場所の1つだそうです。
1日およそ70km以上の距離を歩いたと考えられるため、立ち寄るというよりは一休みしたというのが正しいでしょうか。
信長の家臣山口氏の城、山口城もその1つだそうですが、こちらは遺構も石垣以外ほぼ残っていません。
茶畑が多い地方なので、家康も茶畑の横を通ったのかも知れません。
奥山田まで行けば安心?いえいえ、信楽街道や瀬田道と名のある道ですから、いくら山道とはいえ気は抜けないはずです。
遍照院には、家康腰掛の石があります。
御朱印を拝受した際、ご住職が本堂でいろいろお話してくださいました。
本堂にはご本尊以外にもたくさんの仏さまがありました。
この奥山田にあった、廃寺になってしまった寺のご本尊を廃棄するわけにもいかず、この遍照院に集められたとか。
なるほど立派な仏さまたちです。
地元の檀那寺ですが、檀家の数が少なく、お寺の維持が大変だそうです。
ぜひぜひ、大河ドラマで撮影していただきたいものです。
またお参りしたいと思いました。
皆さま、ぜひご参拝いただき、盛り上げてください。
山奥ですが駐車場もあります
国道沿いにもありました 観光協会が作ったのでしょうか のぼりです
2種類ありました 徳川の家紋入り
本堂
鐘楼 撞かせていただきました
鐘楼のそばが崖になっており 転落防止のために柵を造られたそうです そこにデザインガラスがはめられています これは家紋です
春のイメージ 梅
夏のイメージ 藤
秋のイメージ 紅葉
冬のイメージ 南天(?)
本殿
ご本尊と 集められた 廃寺になった寺の仏さまたち
家康腰掛の石
結びわらじ
家康が無事に三河に戻ったことから 交通安全 災難除け 心願成就 の願いを込めて草鞋が奉納されるようになったそうです
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