しょうりゅうじ
御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
勝龍寺ではいただけません
広告
勝龍寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2022年08月24日(水)
参拝:2022年8月吉日
今回の3寺目は京都府長岡京市に在る恵解山 勝龍寺です。翌日早朝から予定があるので今回は3寺で終わり。2寺目の大阪からわざわざ高速道路を使って京都へ移動したのには訳があります。こちらの開帳は年に2日のみ、8月18日とガラシャ祭りの11月第2日曜日で、本日は8月18日だからです。(昨年はガラシャ祭りが中止で開帳も中止。)
真言三宝宗で、本尊は十一面観音。
この十一面観音立像は重文で、京都国博に寄託してありますが、開帳日だけこちらに戻ってきます。
806年に弘法大師空海が、唐で修業した青龍寺の名をとって創建したと伝わります。観音堂をはじめとして99坊が建てられていたとの事です。962年の大干ばつ、大飢饉の時に、村上天皇の命により住職の千観(せんかん)上人が雨乞いの祈祷を行ったところ雨が降り、龍神に勝ったという事から「青龍寺」から「勝龍寺」に改名されたといいます。1582年に羽柴秀吉と明智光秀の山崎の戦いで焼失。現在の寺は専勝坊の法灯を継いでいるとの事で、1634年に徳川家光が参詣しています。
開帳拝観に際して3連敗しているので、流石にこちらは事前に連絡して開帳される事を確認してから伺いました。勝龍寺城の南約100m、住宅地の中に在ります。99坊もあったとは思えない割と小ぢんまりとした境内です。境内に車を停めさせて頂きました。
本堂に上がると正面の厨子に3躯の仏像。中尊は高さ約40cmの十一面観音立像、向かって左側には高さ1m弱の菩薩立像(聖観音立像)、右側には高さ1m弱の十一面観音立像で、全て鎌倉時代の作。コの字に並んでいるのは珍しいと思います。(脇の2像が向き合っている。)
本尊の十一面観音立像はサクラ材で、殆どを一材から彫り出している。素地で檀像様。細かく彫られています。開帳日以外は本尊を含めて3躯の仏像は観る事はできません。
厨子の両脇には持国天像と多聞天像です。本尊は重文、菩薩立像は府指定文化財、それ以外は市指定文化財です。
御朱印は本堂左側の庫裏(というよりご自宅)に入口横の納経所にて頂きました。
真言三宝宗で、本尊は十一面観音。
この十一面観音立像は重文で、京都国博に寄託してありますが、開帳日だけこちらに戻ってきます。
806年に弘法大師空海が、唐で修業した青龍寺の名をとって創建したと伝わります。観音堂をはじめとして99坊が建てられていたとの事です。962年の大干ばつ、大飢饉の時に、村上天皇の命により住職の千観(せんかん)上人が雨乞いの祈祷を行ったところ雨が降り、龍神に勝ったという事から「青龍寺」から「勝龍寺」に改名されたといいます。1582年に羽柴秀吉と明智光秀の山崎の戦いで焼失。現在の寺は専勝坊の法灯を継いでいるとの事で、1634年に徳川家光が参詣しています。
開帳拝観に際して3連敗しているので、流石にこちらは事前に連絡して開帳される事を確認してから伺いました。勝龍寺城の南約100m、住宅地の中に在ります。99坊もあったとは思えない割と小ぢんまりとした境内です。境内に車を停めさせて頂きました。
本堂に上がると正面の厨子に3躯の仏像。中尊は高さ約40cmの十一面観音立像、向かって左側には高さ1m弱の菩薩立像(聖観音立像)、右側には高さ1m弱の十一面観音立像で、全て鎌倉時代の作。コの字に並んでいるのは珍しいと思います。(脇の2像が向き合っている。)
本尊の十一面観音立像はサクラ材で、殆どを一材から彫り出している。素地で檀像様。細かく彫られています。開帳日以外は本尊を含めて3躯の仏像は観る事はできません。
厨子の両脇には持国天像と多聞天像です。本尊は重文、菩薩立像は府指定文化財、それ以外は市指定文化財です。
御朱印は本堂左側の庫裏(というよりご自宅)に入口横の納経所にて頂きました。
すてき
投稿者のプロフィール
nomuten973投稿
ホトカミ見ました! で広がるご縁
ホトカミを見てお参りされた際は、もし話す機会があれば住職さんに、「ホトカミ見てお参りしました!」とお伝えください。
住職さんも、ホトカミを通じてお参りされる方がいるんだなぁと、ホトカミ無料公式登録して、情報を発信しようという気持ちになるかもしれませんし、
「ホトカミ見ました!」きっかけで豊かな会話が生まれたら、ホトカミ運営の私たちも嬉しいです。