よしみねでら
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楽しみ方善峯寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年09月29日(水) 13時31分43秒
参拝:2021年9月吉日
(西国三十三観音20番札所)
(京都洛西三十三観音1番札所)
(神仏霊場巡拝の道京都5番札所)
幼い頃、2年前に亡くなった祖母に連れられて行った記憶がかすかにあります。
「やなぎださん」(柳谷観音)、「よしみねさん」(善峯寺)と祖母は呼んでいました。
今回お参り来ても、全く記憶なく、新鮮な気持ちです。
しかし、大きなお寺です。境内はとても綺麗で道も整備されてはいますが、息切れします。
1029年、源算が自作の千手観音像を本尊として創建したといいます。その後、1034年には後一条天皇により勅願所に定められました。
1042年、後朱雀天皇の命で洛東鷲尾寺にあった仁弘法師作の千手観音像を当寺に遷して新たな本尊とし、また、白河天皇より本堂、阿弥陀堂、薬師堂、地蔵堂、三重塔、鐘楼、二王門、鎮守七社の堂社を寄進されました。
1192年には、寺号が善峯寺と改められ、青蓮院から多くの法親王が入山したため「西山門跡」と呼ばれ、室町時代には僧坊の数は52を数える大寺院になりました。
が、応仁の乱に巻き込まれて伽藍の大半が焼失した。江戸時代になってから江戸幕府第5代将軍徳川綱吉の生母・桂昌院が大檀那となって、現存する観音堂・鐘楼・護摩堂・薬師堂・経堂・鎮守社などが再建されて復興を遂げたのだそうです。
奥の院からの洛中の景色は素晴らしいです。息切れしながら登った甲斐があります。
かつては、柳谷さんから善峯さんへと歩いてお参りされていたのでしょうが、俗なわたしにはとてもじゃないけど無理です。汗
(京都洛西三十三観音1番札所)
(神仏霊場巡拝の道京都5番札所)
幼い頃、2年前に亡くなった祖母に連れられて行った記憶がかすかにあります。
「やなぎださん」(柳谷観音)、「よしみねさん」(善峯寺)と祖母は呼んでいました。
今回お参り来ても、全く記憶なく、新鮮な気持ちです。
しかし、大きなお寺です。境内はとても綺麗で道も整備されてはいますが、息切れします。
1029年、源算が自作の千手観音像を本尊として創建したといいます。その後、1034年には後一条天皇により勅願所に定められました。
1042年、後朱雀天皇の命で洛東鷲尾寺にあった仁弘法師作の千手観音像を当寺に遷して新たな本尊とし、また、白河天皇より本堂、阿弥陀堂、薬師堂、地蔵堂、三重塔、鐘楼、二王門、鎮守七社の堂社を寄進されました。
1192年には、寺号が善峯寺と改められ、青蓮院から多くの法親王が入山したため「西山門跡」と呼ばれ、室町時代には僧坊の数は52を数える大寺院になりました。
が、応仁の乱に巻き込まれて伽藍の大半が焼失した。江戸時代になってから江戸幕府第5代将軍徳川綱吉の生母・桂昌院が大檀那となって、現存する観音堂・鐘楼・護摩堂・薬師堂・経堂・鎮守社などが再建されて復興を遂げたのだそうです。
奥の院からの洛中の景色は素晴らしいです。息切れしながら登った甲斐があります。
かつては、柳谷さんから善峯さんへと歩いてお参りされていたのでしょうが、俗なわたしにはとてもじゃないけど無理です。汗

御朱印 西国三十三観音20番 神仏霊場巡拝の道京都5番

御朱印 京都洛西三十三観音1番

御朱印 奥の院

山門への石段

山門

金剛力士像(阿形)

金剛力士像(吽形)

本堂前

本堂

本堂内

手水舎

大師堂

行者堂

修行大師堂

休憩所の西国三十三観音像

鐘楼

護摩堂

開山堂(工事中)

幸福地蔵堂

多宝塔

経堂

経堂内

宝篋印塔

桂昌院廟入口

桂昌院廟について

桂昌院廟

十三仏堂

釈迦堂

奥の院入口

宝篋印塔

稲荷社

青蓮の滝

十三重石塔

薬師堂

薬師堂よりの眺め

阿弥陀堂

本坊

境内図
すてき
投稿者のプロフィール

ますみん822投稿
コロナ禍に突然お告げ?受けて、2020.4より御朱印に入れ込みはじめました。いけば行くほど奥深く、毎日お参りばかりを考える、御朱印狂になってしまいました。でも、お参りすることっていいことですよね...もっと読む
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