かんのんじ(やまざきしょうてん)|真言宗系単立|妙音山
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楽しみ方観音寺(山崎聖天)のお参りの記録一覧
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所用で東山の役所に寄ってから雨だったのでどーしよっかなぁと思い、東山散策もインバウンド多いしなぁ・・・よし、大山崎に行こうと思い立って四条から阪急で大山崎へ。とりあえずお気に入りの山崎聖天へ。途中山崎院跡の銀杏が緑で散り始めていたのでありゃ、今年も厳しいかなぁと思ってましたが麓の稲荷さんはいい感じで紅葉していました🤗観光客もほとんどおらずここはホンマに穴場中の穴場です。駅からも10分ぐらいだし天気よければ言うことなしなんですがね😅特に稲荷さんは銀杏と楓が良い感じで私的には京都で5本の指に入る紅葉ポジションですね🤗本堂境内もかなり紅葉進んでいて、ホントに晴れてたらなぁという感じでした😅観音堂と聖天宮をお詣りし、こちらもお気に入りの仁王門参道。ちょっと日当たり悪いところは緑が残ってましたがグラデーションが綺麗🤗そして仁王門の横には大銀杏こちらも銀杏の黄色い絨毯が始まってました。今月末が見頃かもですね🤗
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前回お参りした時に頂けなかった御朱印をゲットしました。
平安時代に宇多法皇が御願寺として創建されと伝えられます。その後、江戸時代初期に摂津箕面勝尾寺の僧・木食上人以空が、この地にあった聖徳太子の作と伝えられる十一面千手観世音菩薩を本尊とし、中興開山します。それ以後、歓喜天(かんぎてん)を祀り、霊元、東山、中御門天皇の厚い帰依を受け、商売繁盛家運隆昌を願う住友家、鴻池家、三井家などの信仰や、京都、堺など商人の参詣を得て大いに発展します。こうしたことで、本尊の十一面千手観音菩薩よりも 歓喜天への信仰によって、「山崎の聖天さん」として知られるようになりました。
しかし、江戸幕府末の禁門の変で、長州の尊皇攘夷派の部隊が山崎の地に陣を取ったことにより、戦火に巻き込まれ、山崎は幕府軍と長州派の戦いにより、壊滅的な被害を受けます。ここもこの時の火によって、事前に避難させた本尊の十一面千手観世音菩薩と歓喜天像以外を残して焼失してしまいました。
明治時代に入り観音寺は順次復興され、現在ある建物は西観音寺の本堂や、聖天堂や鐘楼などを移して再建されたものです。
参道の途中に鎮守の稲荷社があったのですが、前回見落としていたので、お参り。
急な石段の途中にある仁王門も潜ってきました。




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