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むこうじんじゃ

向日神社の御由緒・歴史
京都府 西向日駅

ご祭神向日神
火雷大神
玉依姫命
神武天皇
ご神体向日山
創建時代養老二年(718)
創始者不詳
ご由緒

当社は延喜式神名帳に記載された式内社で、神名式においては山城国乙訓郡向神社と称され、後に同式の乙訓坐火雷神社を併祭して今日に至っている。この両社は、同じ向日山に鎮座されたので、向日神社は上ノ宮、火雷神社は下ノ宮と呼ばれていた。当社の創立は、大歳神の御子、御年神がこの峰に来られ向日山と称され、この地に長く鎮座されて、御田作りを奨励されたのに始まる。向日山に鎮座されたことにより御年神を向日神と申し上げることとなったのである。社伝によると養老二年(718)である。上ノ宮は五穀豊穣の神として、下ノ宮は祈雨、鎮火の神として朝廷の崇敬の特に篤い神社であったことは古書にも数多く見られるところである。

歴史
歴史[編集] 元々は、同じ向日山に鎮座する「向神社」(上ノ社)、「火雷神社」(下ノ社)という別の神社だった。いずれも延喜式神名帳に現れる古社で、「火雷神社」については名神大社「乙訓坐火雷神社(乙訓神社)」の論社である(他の論社は長岡京市の角宮神社)。 向神社は御歳神(向日神)が向日山にとどまり、稲作を奨励したことに始まるというが、そもそもは現在地から北に500メートルの所にある五塚原古墳(いつかはらこふん)の上に祀られていたようである。養老2年(718年)になって元稲荷古墳の南側にある現在地に遷座した。 火雷神社は神武天皇が大和国橿原から山背国へ遷った際、当地に火雷神を祀ったことに始まる...Wikipediaで続きを読む
引用元情報向日神社」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%90%91%E6%97%A5%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=99695516

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