西方寺
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西方寺ではいただけません
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西方寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年09月24日(火)
参拝:2024年9月吉日
続いてお見かけした西方寺。参道を京阪電鉄が横切る、山科区では何件かお目にかかりましたがこの辺りでは初の光景😅入口には弥陀次郎西方寺と石碑があり、弥陀次郎伝説のお寺だそう。山門をくぐるとすぐ右のお堂には弘法大師の札があり「山城四国17番」の御詠歌がありました。もともとは真言宗寺院だったのかな?御朱印・拝観はダメでした・・・😫ちなみに西方寺は、鎌倉時代に関白太政大臣を務めた、近衛兼経の屋敷があった所であり、また西方寺の西側に残る「二子塚古墳」があった一帯でもあるそうです。
弥陀次郎伝説
平安の末期、淀の一口(いもあらい)に、大層乱暴者の水次郎という漁師がいた。そんな水次郎の元へ托鉢の僧が施しを求め訪ねて来たが、不漁で機嫌の悪かった水次郎は僧の胸に焼き火箸を押し当て追い返してしまった。
何事もなかったように帰る僧の後をつけると、光明寺に辿りついた。寺で托鉢僧のことを尋ねると、本尊の釈迦如来像が時折、托鉢に出るという。その仏像を見ると胸に火箸の火傷の痕があった。
驚き帰った水次郎はその夜の夢のお告げどおり、巨椋池の一筋の光明に向かって網を放つと、網の中から紫金に輝く仏像が現れた。それ以来小次郎は殺生をやめ悪行を改めて大念仏の行者となり、弥陀次郎と呼ばれるようになった。という。
弥陀次郎伝説
平安の末期、淀の一口(いもあらい)に、大層乱暴者の水次郎という漁師がいた。そんな水次郎の元へ托鉢の僧が施しを求め訪ねて来たが、不漁で機嫌の悪かった水次郎は僧の胸に焼き火箸を押し当て追い返してしまった。
何事もなかったように帰る僧の後をつけると、光明寺に辿りついた。寺で托鉢僧のことを尋ねると、本尊の釈迦如来像が時折、托鉢に出るという。その仏像を見ると胸に火箸の火傷の痕があった。
驚き帰った水次郎はその夜の夢のお告げどおり、巨椋池の一筋の光明に向かって網を放つと、網の中から紫金に輝く仏像が現れた。それ以来小次郎は殺生をやめ悪行を改めて大念仏の行者となり、弥陀次郎と呼ばれるようになった。という。
すてき
投稿者のプロフィール
soo_cyan2404投稿
京都在住。京都の寺社仏閣を中心に終活兼ねて巡っております。御朱印・御首題は令和4年の正月からスタート。
洛陽、洛西三十三所観音霊場、京都十二薬師、京都通称寺の会、京都時宗道場巡り満願🤗
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