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みやはらさんじんぐう

宮原三神宮の御由緒・歴史
熊本県 有佐駅

ご祭神天照大御神
国常立尊
神武天皇
ご神体神璽・鏡(現存しているかは不明)
創建時代応保元年(1161年)
創始者平盛俊
ご由緒

宮原三神宮は平治元年(1159年)、二条天皇の勅命で平盛俊(平清盛の側近)が社殿を造り、応保元年(1161年)に落成しました。その際、内大臣平重盛らが神霊を勧請し、神璽(しるし)・鏡などを納めたと伝えられています。社司には平盛俊の弟平盛房がなり、その子孫となる広松家が今日まで続いています。
 小西行長の頃(天正年間)一度焼失しましたが、その後復興、現社殿は天保10年(1839年)に完成しました。以前は三宮社と呼ばれていましたが、明治維新後の神仏分離令により現在の名称になりました。
 大祭は毎年10月13日で、神楽・神馬・獅子舞・亀蛇・奴などが奉納されます。[氷川町観光情報サイトより]

歴史
由緒[編集] 1159年(平治元年)、二条天皇の勅命により、平重盛が越中前司平盛俊に命じて社殿の造営がはじまる。1161年(応保元年)、社殿が竣工。平盛俊の弟である平盛房を社司に任じ、勅使平重盛らと共に神輿を報じて神霊を勧請し創建された。伊勢神宮内宮(天照大神)、日吉大社(国常立命)、下鴨神社(神武天皇)の3神を祀ったので三宮社と称した[1]。 1588年(天正16年)、キリシタン大名小西行長の焼討ちにより社殿が焼失した。1602年(慶長6年)、加藤清正公により復旧し、後の細川氏より手厚い保護を受ける。1661年(寛文元年)、神蔵寺をはじめ六坊が建立され、八代の妙見宮にならい宮原妙見社と...Wikipediaで続きを読む
引用元情報宮原三神宮」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%AE%AE%E5%8E%9F%E4%B8%89%E7%A5%9E%E5%AE%AE&oldid=92582116

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