しらかわよしみじんじゃ
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白川吉見神社ではいただけません
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白川吉見神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年09月23日(木)
参拝:2021年9月吉日
【御祭神】国龍大明神、罔象女命
『境内社』天満宮・子安観世音・馬頭観世音他
由緒:当神社は阿蘇神社の末社として、古代より水源の守護神として尊崇され、境内の中央から涌水する大泉流は、これより西方南郷谷及び菊池南部熊本飽託の肥後平野を潅流して幾千ヘクタールの水田を養い湧水池は肥後名勝の一つに数えられた。
元禄(1688~1703)14年6月第5代肥後藩主・細川綱利公が山狩の際参拝され 「当社は余が領地養田の源神で水恩広大である。速やかに社殿を修造せよ。」と郡代に命じ造営されたと言う。
この湧水は不老長寿・諸病退散の御清水として、昔から語り継がれ尊ばれている。
嘉永年間(1848~1853)細川韶邦公(後に初代熊本藩知事)又明治初年第14代護久公護美公が参拝され九曜紋章付きの社幕を奉納されたと云う。
この湧水は「不老長寿」「所病退散」の御神水として昔より語りつがれ尊ばれています。
『境内社』天満宮・子安観世音・馬頭観世音他
由緒:当神社は阿蘇神社の末社として、古代より水源の守護神として尊崇され、境内の中央から涌水する大泉流は、これより西方南郷谷及び菊池南部熊本飽託の肥後平野を潅流して幾千ヘクタールの水田を養い湧水池は肥後名勝の一つに数えられた。
元禄(1688~1703)14年6月第5代肥後藩主・細川綱利公が山狩の際参拝され 「当社は余が領地養田の源神で水恩広大である。速やかに社殿を修造せよ。」と郡代に命じ造営されたと言う。
この湧水は不老長寿・諸病退散の御清水として、昔から語り継がれ尊ばれている。
嘉永年間(1848~1853)細川韶邦公(後に初代熊本藩知事)又明治初年第14代護久公護美公が参拝され九曜紋章付きの社幕を奉納されたと云う。
この湧水は「不老長寿」「所病退散」の御神水として昔より語りつがれ尊ばれています。
すてき
投稿者のプロフィール
麿鷹67投稿
平成の終わり辺りに年に一、ニ度行く京都旅行で寺社仏閣を巡り 御朱印を集め始めました
令和に入りまた少しずつ地元を中心に始めようと思っています
マロホーク改め【麿鷹】に改名しました
よろしくお願いします
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