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岩本寺ではいただけません
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いわもとじ|真言宗智山派藤井山(ふじいさん)

岩本寺
高知県 窪川駅

御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
-
パーキング
駐車場
あり

境内右側 普通20台・大型4台(普通200円)

巡礼

その他の巡礼の情報

四国八十八箇所第37番

おすすめの投稿

くるくるきよせん
くるくるきよせん
2024年05月20日(月)
1982投稿

1泊2日四国八十八か所巡り 2日目の3寺院目です。
Googleマップでは青龍寺から車で約1時間と出たのですが 実際は90分ほどかかりました。
GWで混んでいたのか ただ単純に遠かったのか 分かりません。
途中に海岸線を走る所もあったのですが ほぼほぼ山間を走っている感じでした。
四万十川沿いでは大きな町で 集落と言うと失礼だと思うぐらいの町にありました。
(四万十川はほぼ田畑の中を流れているイメージでした)
駐車場も複数あり お遍路さんための店もあります。
とても広いとは言えない境内ですが 見ごたえのある建物が多いです。
本堂 大師堂 開山堂 清流殿 宿坊も境内にあり 水天宮もあります。
ライトアップされているようで 竹に穴をあけたものが 仁王門前の階段にも 本堂前にも 設置されていました。
私がとても気に入ったのは 境内の奥が山になっているのですが 境内と山の間に鉄道が敷かれていて 参拝している時に電車 いや汽車かな が通ったことです。
都会の景色で電車が通っても何とも思わないのですが こちらの境内の雰囲気と汽車の通過する音は 何とも言えない風情を感じさせてくれました。
仁王門前の玉垣には ペギー葉山さんのお名前が。奉納されていたんですね。

山号は藤井山 院号は五智院 宗旨宗派は真言宗智山派 ご本尊は不動明王・聖観世音菩薩・阿弥陀如来・薬師如来・地蔵菩薩 創建年は(伝)天平年間(729年 – 749年) 開基は(伝)行基、聖武天皇(勅願)です。

ご真言(5つ)とご詠歌は
不動明王:のうまく さんまんだ ばざらだん せんだ まかろしゃだ そわたや うんたらた かんまん
聖観世音菩薩:おん あろりきゃ そわか
阿弥陀如来:おん あみりた ていせい から うん
薬師如来:おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
地蔵菩薩:おん かかか びさんまえい そわか
ご詠歌:六(む)つのちり五(いつ)つの社(やしろ)あらわして ふかき仁井田(にいだ)の神のたのしみ
でした。

由緒については
天平年間(729年 – 749年)に 聖武天皇の勅命を受け行基が七難即滅・七福即生を祈念して開創したのが起源であるという。
仁井田明神のあったことから 当時は「仁井田七福」 別名「七福寺」とよばれた。
その後弘仁年間(810年 – 824年)に 空海(弘法大師)が五社・五寺からなる福円満寺を増築し 東から 東大宮が不動明王 今大神には清浄観音菩薩 中宮が阿弥陀如来 西大宮が薬師如来 聖宮が将軍地蔵菩薩とそれぞれ本尊を安置し 星供の秘法を修したという。
こうして「仁井田五社十二福寺」と称し嵯峨天皇の勅願所となり栄え 別当寺の福円満寺が札所であった。
一方 岩本寺は、町中にあり福円満寺から足摺へ向かう途中の宿坊であった。
1652年から1688年の間に衰退した福円満寺から別当が移り 岩本寺と改称し 納経は「五社大明神 別當岩本寺」と記帳された。
明治初期には神仏分離により仁井田五社の5つの仏像は岩本寺に移されたが 岩本寺は高知県の政策により明治4年(1871年)廃寺になる。
明治22年(1889年)岩本寺は復興して現在に至る。
とありました。

岩本寺(高知県)

山門までの参道には お遍路さんのためのお店があります

岩本寺(高知県)
岩本寺(高知県)
岩本寺(高知県)

仁王門

岩本寺(高知県)
岩本寺(高知県)

ライトアップ用

岩本寺(高知県)

階段もライトアップされます

岩本寺(高知県)
岩本寺(高知県)

少し小さめですが とても立派です

岩本寺(高知県)

扁額

岩本寺(高知県)

千社札がたくさん

岩本寺(高知県)

手水は龍でした

岩本寺(高知県)

聖天堂

岩本寺(高知県)

大師堂

岩本寺(高知県)

扁額

岩本寺(高知県)

これもライトアップ用

岩本寺(高知県)

これも

岩本寺(高知県)

開山堂

岩本寺(高知県)

大師立像

岩本寺(高知県)

清流殿

岩本寺(高知県)

鐘楼

岩本寺(高知県)

子育て観音

岩本寺(高知県)

水かけ用 手水ではありません

岩本寺の本殿

本堂

岩本寺(高知県)

こちらにも観音様

岩本寺(高知県)
岩本寺(高知県)

これ 何というのか よく見かける照明のようなもの

岩本寺(高知県)

仏足跡

岩本寺(高知県)

地蔵と石仏

岩本寺(高知県)

水天宮

岩本寺(高知県)

厄割玉

岩本寺(高知県)

宿坊もありました

岩本寺(高知県)

宿坊

岩本寺(高知県)

納経所

岩本寺(高知県)

五仏尊

岩本寺(高知県)

ペギー葉山さんが奉納されたようです

岩本寺(高知県)

土塀の瓦の上に これなに?

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to_sun
to_sun
2023年05月23日(火)
312投稿

【藤井山(ふじいざん)五智院(ごちいん)岩本寺(いわもとじ)】
本尊:不動明王・観世音菩薩・阿弥陀如来・薬師如来・地蔵菩薩
宗派:真言宗智山派
開基:行基菩薩
 岩本寺は、第45代 聖武天皇(在位724-749)の勅願により、行基菩薩が七難即滅、七福即生を祈念して、現在地より北西約3㎞の付近にある仁井田明神のそばに建立したと伝えられる福圓満寺(末寺七ヶ寺をもつ)が前身とされる。弘法大師(774-835)がこの寺を訪ねたのは弘仁年間(810 – 824)。 大師は一社に祀られていた仁井田明神のご神体を五つの社に別け、それぞれの社に不動明王像、観音菩薩像、阿弥陀如来像、薬師如来像、地蔵菩薩像を本地仏として安置した。 大師は、さらに末寺五ヶ寺を建立。 このことから、福圓満寺等は七ヶ寺と合わせて十二福寺、また仁井田明神は仁井田五社と呼ばれていた。
 天正時代に兵火等で寺社共に一時衰退してしまう。 再建の際に、この地域の全ての神社を管掌下においていた岩本寺(当時は岩本坊)に、寺の法灯並びに別当職は遷され、継承される。明治の神仏分離により仁井田五社と分離され五尊の本地仏と札所が岩本寺に統一された。

岩本寺(高知県)

【37_T.Hamada's view】
 弘法大師像

岩本寺(高知県)

【37_三度栗】
 「岩本寺七不思議」の一つが「三度栗」の伝説。弘法大師の霊力で1年に3回も実るようになったと言われる栗の木。(四国霊場開創1200年記念絵はがき)

岩本寺(高知県)

【37_本堂】

岩本寺(高知県)

【37_大師堂と聖天堂】
 大師堂(左側)と聖天堂(右側手前)。上空で鳥が迎えてくれます。トンビ?

岩本寺(高知県)

【37_仁王門】

岩本寺(高知県)

【37_仁王阿形像】

岩本寺(高知県)

【37_仁王吽形像】

岩本寺(高知県)

【37_龍の手水舎】

岩本寺(高知県)

【37_本堂内陣の格天井画】
 1978(昭和53)年に新築の際、全国から公募した花鳥風月から人間曼荼羅まで、575枚の絵が天井を彩る。

岩本寺の芸術

【37_本堂内陣の格天井画】
 9枚に描いた龍がいます。

岩本寺の芸術

【37_本堂内陣の格天井画】
 マリリン・モンローはどこ。内陣に入ってすぐ上にいらっしゃいました。

岩本寺(高知県)

【37_石柱門】
 路地の奥にある山門(仁王門)をくぐって境内へ

岩本寺(高知県)

【37_トゥクトゥク】
 路地の途中に駐車。ポップなアートで愛(LOVE)を感じるお寺でした。

岩本寺の御朱印
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岩本寺の基本情報

住所高知県高岡郡四万十町茂串町3-13
行き方

窪川駅下車 (0.7km)
36【青龍寺】より
(自家用車)約1時間30分 約50km
(徒歩)約16時間 約55.5km
38【金剛福寺】より
(自家用車)約2時間30分 約94km
(徒歩)約25時間 約86.5km

アクセスを詳しく見る
名称岩本寺
読み方いわもとじ
参拝時間

納経所/7:00~17:00

トイレ仁王門の横
御朱印あり

限定御朱印なし
電話番号0880-22-0376
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
絵馬あり

巡礼の詳細情報

四国八十八ヶ所霊場(お遍路)

詳細情報

ご本尊不動明王・観世音菩薩・阿弥陀如来・薬師如来・地蔵菩薩
山号藤井山(ふじいさん)
院号五智院(ごちいん)
宗旨・宗派真言宗智山派
創建時代天平年間(729~749)
開山・開基行基菩薩
ご由緒

清流四万十川が流れ、標高が300m程の高南台地が広がる四万十町に、五尊の本尊を祀る岩本寺は建立されている。歴史は天平の世まで遡る。寺伝によれば、聖武天皇の勅を奉じた行基菩薩が、七難即滅、七福即生を祈念して、現在地より北西約3㎞の付近にある仁井田明神の傍に建立したと伝えられる末寺七ヶ寺をもつ福圓満寺が前身とされる。仁井田明神の別当職(別当寺)であったことから、仁井田寺とも呼ばれていた。弘法大師がこの寺を訪ねたのは弘仁年間。大師は一社に祀られていた仁井田明神のご神体を五つの社に別け、それぞれの社に不動明王像、観音菩薩像、阿弥陀如来像、薬師如来像、地蔵菩薩像を本地仏として安置した。大師は、さらに末寺五ヶ寺を建立された。このことから、福圓満寺等は七ヶ寺と合わせて十二福寺、また仁井田明神は仁井田五社と呼ばれていた。
天正時代に兵火等で寺社共に一時衰退してしまう。再建の際に、この地域の全ての神社を管掌下においていた岩本寺(当時は岩本坊)に、寺の法灯並びに別当職は遷され、継承される。戦国・江戸時代には武将や藩主等から寺領等の寄進を受け、神仏習合の札所として隆盛を誇っていた。明治になると神仏分離の政策で仁井田五社と分離され、五尊の本地仏と札所が岩本寺に統一され、それに伴う廃仏毀釈の法難に遭い、寺領地の大半を失ってしまう。再建には苦難の道が続いたのであるが、少しずつ伽藍を整備し現在に至っている。

体験御朱印宿坊札所・七福神巡り
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