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轟神社ではいただけません
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轟神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年11月15日(水)
参拝:2023年11月吉日
【轟神社(とどろじんじゃ)】
轟神社は、平良種の一人娘、玉織姫を祀る社。~轟の滝『玉織姫』伝説による~
~平家一門、平良種は伊和三太夫と名を改め、源氏の追補を逃れ、諸国流転の余生を柚ノ木の山里で過ごしていました。一人娘「玉織姫」は、近郷に比類のない美貌と天性のはた織りの名人でした。
ある日の夕方、玉織姫は、川向こうの大久保へはた織りの道具を返しに行きました。しかし、娘は夜遅くなっても帰りません。愛娘の身を想い、宝刀一尺八寸の小太刀をしっかりと握り、探しに行きました。烈しい憤怒のあまり小太刀を口にくわえて、濃藍の滝壺めがけて、身を躍らすとそこには、乾ききった岩盤の世界があり、美しい我が子が父を待っていました。娘は泣く泣く「これが、私の夫です」と大蛇を見せました。大蛇は若者の姿になり、三日間父を接待し、共に帰ろうとする父に、絹3巻を渡し、孝行できないことを詫び、永遠の別れを告げました。
生還してきた伊和三太夫は、三年の月日が経っていたことに驚きました。その後、伊和家と柚ノ木の山里には、平和な日々が訪れ次第に繁栄していきました。
いつの頃からか滝壺の近くに繁栄と幸福の女神として、玉織姫を祀る社「轟神社」が建てられています。~
車を「轟の滝茶屋」前の駐車場に停めると茶屋の高齢のおいちゃんが出てきて「案内しましょう」と仰る。神社を参って滝を見る順番でと言うと、神社まで案内してくださった。途中、玉織姫伝説のお話をして頂いた。神社につくと、お参りした人が宝くじが当たったことを話され、これはと思い丁寧にお参りいたしました。ありがとうございました。
轟神社は、平良種の一人娘、玉織姫を祀る社。~轟の滝『玉織姫』伝説による~
~平家一門、平良種は伊和三太夫と名を改め、源氏の追補を逃れ、諸国流転の余生を柚ノ木の山里で過ごしていました。一人娘「玉織姫」は、近郷に比類のない美貌と天性のはた織りの名人でした。
ある日の夕方、玉織姫は、川向こうの大久保へはた織りの道具を返しに行きました。しかし、娘は夜遅くなっても帰りません。愛娘の身を想い、宝刀一尺八寸の小太刀をしっかりと握り、探しに行きました。烈しい憤怒のあまり小太刀を口にくわえて、濃藍の滝壺めがけて、身を躍らすとそこには、乾ききった岩盤の世界があり、美しい我が子が父を待っていました。娘は泣く泣く「これが、私の夫です」と大蛇を見せました。大蛇は若者の姿になり、三日間父を接待し、共に帰ろうとする父に、絹3巻を渡し、孝行できないことを詫び、永遠の別れを告げました。
生還してきた伊和三太夫は、三年の月日が経っていたことに驚きました。その後、伊和家と柚ノ木の山里には、平和な日々が訪れ次第に繁栄していきました。
いつの頃からか滝壺の近くに繁栄と幸福の女神として、玉織姫を祀る社「轟神社」が建てられています。~
車を「轟の滝茶屋」前の駐車場に停めると茶屋の高齢のおいちゃんが出てきて「案内しましょう」と仰る。神社を参って滝を見る順番でと言うと、神社まで案内してくださった。途中、玉織姫伝説のお話をして頂いた。神社につくと、お参りした人が宝くじが当たったことを話され、これはと思い丁寧にお参りいたしました。ありがとうございました。
【轟(とどろ)の滝】
落差82m、白亜紀時代の断崖を3段に落ちる。「日本の滝百選」に選定されている。
落差82m、白亜紀時代の断崖を3段に落ちる。「日本の滝百選」に選定されている。
【轟の滝石碑】
【轟神社の鳥居】
1番目の鳥居。
1番目の鳥居。
【参道】
【龍の石像】
【扁額】
2番目の鳥居。
2番目の鳥居。
【轟神社】
【狛犬 阿形】
【狛犬 吽形】
【本殿】
【滝壺】
左岸より見る1段目の滝壺。
左岸より見る1段目の滝壺。
【吊り橋】
対岸を結ぶ赤い橋。
対岸を結ぶ赤い橋。
【轟の滝】
橋から見る轟の滝。
橋から見る轟の滝。
【轟の滝】
【轟の滝】
【轟の滝】
【轟の滝展望所】
【轟の滝】
右岸展望所から見る轟の滝。
右岸展望所から見る轟の滝。
【轟の滝案内板】
地元出身 やなせたかし先生『瀧のシブキちゃん』。
地元出身 やなせたかし先生『瀧のシブキちゃん』。
【桜】
すてき
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