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はだじんじゃ

秦神社の御由緒・歴史
高知県 桟橋通五丁目駅

ご祭神《主》長宗我部元親,《配》長宗我部信親,長宗我部盛親,長宗我部盛家臣忠死の徒
ご由緒

長宗我部氏の菩提寺である雪蹊寺が明治三年廃寺となったため、子孫にあたる島弥九郎等が奔放。同寺に安置された元親公の御木像や戸次川戦々没者の霊璽板等を御神体として譲りうけ、長浜古城の麓にあるしたのが当社である。主神の元親公は前の土佐太守で、慶長四年五月山城の伏見邸に薨去し雪蹊寺を菩提寺と定められた。山内家入府後は当院は寺領百石香奠として、その後寛政九年には二百年忌法要が、また、嘉永元年には二五〇年忌法要が雪蹊寺で行われた。その後明治三十二年には当社で元親公の三五〇年忌祭が行われて、昭和三年には正三位追贈され、昭和十八年八月、県社に昇格、昭和二十七年宗教法人となり、現在に至っている。
当社には天正十四年十二月十二日、豊臣氏の島津征伐に際し、先陣として豊後国(大分県)戸次川で戦い戦死した信親公主従の名を刻した霊板が奉安されている。土佐物語によると、この時の長宗我部勢の戦没者は二七二七名といわれている。なお当社々宝の元親公画像(重文)は県立郷土文化会館に寄託、保管されている。

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