うしおえてんまんぐう
潮江天満宮のお参りの記録一覧
高知で一番来たかった潮江天満宮です。
広くて立派な神社でした。
こちらで会いたかった撫で牛をしつこくナデナデ…。
社務所へ伺ったら巫女さんと宮司さん達で何となく賑わってて、お忙しいのかな?何か神事を控えてるのかな?と思ったけど、お声がけしたらとても丁寧なご対応でした。ありがとうございます。
高知市天神町にある天満宮。
菅原道真が太宰府へ流罪にされた際長男の高視朝臣も土佐国の潮江に流され道真が亡くなるとそれを伝えるために太宰府から土佐へと来たものの病で亡くなった家来の白太夫の遺品を祀ったのが始まりとされています。
苔むした木や撫牛が歴史の深みを伝えてくれます。立派な楼門や社殿は神社好きの方なら必見です。御朱印入りの御朱印帳を頂く事ができます。大変綺麗な御朱印帳です。
境内傍の鏡川遊歩道は細田守監督作品「竜とそばかすの姫」の聖地になっています。
社殿
楼門
境内
古札納所
消毒液
末社
手水舎
御守
狛犬
鳥居と参道
おみくじ
由緒書
パンフレット
天神町パーキング
竜とそばかすの姫にも出てくる鏡川遊歩道。
過去分の投稿です
歩きで訪れました
土地勘ゼロなので柳原橋を渡ったところから体育館や野球場をぐるっと回っていったので結果的に遠回りでしたね…天天丸でお寿司食べたからいいんですけども
境内は全体的に趣のある雰囲気でよかったです
高知市ではかなり大きい神社なので普段から参拝者が多いようですが、私が訪れたときはそれ程でもなくゆったり見ることができました
本殿の写真を撮り忘れたのが残念です
また訪れることがあれば今度はしっかりカメラに収めたいですね
書き置きの御朱印を戴きました
南側の鳥居から入ったのですが、裏口だったかも…後から見たら北側の鳥居が表参道と書いてあったので…まあ仕方ないです
新池
野趣溢れる雰囲気でとてもよかったです
高知市指定文化財になっている大変立派な神門です
苔むした狛犬も風情がありますね
あぶないのでのぼられません
天満宮といえば牛
気持ちよく日向ぼっこをしているようです
高野寺のあと、潮江天満宮におまいりに行きました。
高知市指定文化財の楼門です。
飛龍梅(孫樹)です。元々の樹は、去年枯れてしまったそうです。
潮江天満宮の拝殿です。
直書きの御朱印をいただきました
七月十七日、帰省したので、久々に参拝。
【神社データ】
潮江天満宮の由来
鏡川の南岸、筆山北鹿の景勝地に鎮座。
平安朝の名臣として、政治・文化・学問等に秀れ、広大無辺の聖徳を兼ね備えられた菅原道真公を主祭神とし、他に四柱の神を合せお祀りしている。
道真公は学者より身を起し、昌泰(しょうたい)2年(899)には右大臣に進まれ、左大臣藤原時平と並んで政務を執る事となった。
識見信望共に抜群である事を快く思わない藤原時平は密かに排陥(はいかい)の策をたて、やがて昌泰4年<延喜元年(901)>1月25日、道真公は太宰権師(だざいごんのそち)として西海に左遷され、同時に長男の右少弁菅原高視朝臣もまた土佐権守として京都を遂われ土佐国潮江に住居した。
道真公が太宰府(だざいふ)で、延喜3年(903)2月25日に薨去(こうきょ)されると、侍臣白太夫は遺品を護持してこれを高視朝臣に伝えるため、はるばる土佐に来国した。
白太夫は老齢と難路に苦しみ健康を害し、ようやく長岡郡大津村舟戸(現高知市)の霊松山雲門寺にたどりついたが病を発し、延喜5年(905)12月9日79歳で歿した。
高視朝臣は、白太夫の没後その遺品をおさめ、これを霊璽(みたましろ)として祀ったのが潮江天満宮の由来である。
尚、高視朝臣は、延喜6年復官し京都に帰り、延喜13年38歳で卒去(そっきょ)したとあるが地元の説では、延喜6年この地にて逝去され、現在屋敷跡と共に墓所(おくつき)もあり、年に3回墓前祭がおこなわれている。
伝統と経過
伝えによると、高視朝臣が菅原道真公の遺品を霊璽(みたましろ)として竜神(りゅうじん)の祠(ほこら)へお祀りして以来約1100年が経過し、潮江地区、内街地区〔南街、下知・高知街(電車通より南、一部・電車道より北)〕の産土(氏神)神としての信仰があり、恒例祭、毎月2回(月次祭・朔日祭)の祭典、さらに境内社の毎月の祭典(3回)が行われ、1月25日のうそ替神事、2月3日の古式追儺式、2月25日の古式菜種祭等の伝統的神事も執り行われており、多数の参拝者が年間を通じて参詣している。
社殿並建物
慶長の現在地への移転後藩政時代に於ては、山内家の尊崇篤く直営で社殿を造営した。
殊に嘉永6年(1853)に建立された楼門は、昭和42年に高知市保護文化財に指定されたが、名工島村三四郎苦心の彫刻があり、郷土芸術の誇りとされている。
昭和3年(1928)10月16日放火により社殿を焼失し再建したが、更に昭和20年(1945)7月4日大東亜戦争中米軍機の空襲により、本殿、弊殿、拝殿、社務所、絵馬殿、神饌所祭器庫等主要建物が殆ど烏有に帰した。
同年8月15日には敗戦となり、戦争は終ったが国民は混迷のうち年を経て、同昭和26年頃より世情も回復したので、氏子崇拝者の協力を得て、昭和33年(1958)には、弊殿、拝殿の再建工事が完成。昭和40年(1965)には誠道館(集会、神社の用に供する)の新築。
昭和62年に社務所の再築、祝詞舎の増築を行い、更に戦前の本殿建築にとのもとに平成7年(1995)に本殿・塀・祝詞舎の再建に続き、神霊舎・神饌所・祭噐庫・授与所・手水舎等の再、新築工事、また境内神苑等を整備拡充して輪奐の美を整える努力をしている。
潮江天満宮HPより
潮江天満宮入口
夏祭の看板が取り付けられてました。
入り口から奥に進み、大きな鳥居がいくつもある参道を進むと…
楼門が見えてきました。
高知市内の小学生は、一回は写生大会で、潮江天満宮に連れて来られてると思います。
写生大会で一番人気は、この楼門でした。
私も友達と一緒に、この楼門を描きましたね。
鳳凰の彫刻が、色鮮やかで本当に素敵✨
曇だったので、色がキレイに出なくて💦
実物は、もっとキレイなんですけどね🥺
鳳凰アップ
この楼門の鳳凰、日本一大きいと言われてます。
他にも、お気に入りの彫刻がいくつかあるので、ご紹介♪
楼門の右側には、菅原道真様の彫像があります。
楼門左側には、長男の菅原高視様の彫像があります。
潮江天満宮 拝殿
【主祭神】
菅原道真様
菅原高視様(道真様のご長男)
北御方 (道真様の奥様)
【相殿神】
天穂日命様 (菅原家の祖神)
大海津見命様 (海の神様)
高知の夏越大祓は、大体、六月三十日に統一されています。
茅の輪くぐりをするので、通称輪抜けさまとも呼ばれています。
出店の数とアクセスの良さから、高知市内から人が集まって来るので、輪抜け様は、潮江天満宮が一番混んでいたと思います。
私も、友達と一緒に、浴衣姿で路面電車に乗って、何度も輪抜け様に行きました。
学校が離れ離れになってしまった同級生とかに出会う率が高く、ミニ同窓会みたいになったりして、楽しかったですよ。
こちらは飛龍黄梅のすぐ後ろの撫で牛です。
菅原道真公と牛の縁(ゆかり)
菅原道真公略歴
菅原道真公は牛に縁(ゆかり)の深い神様です。
道真公は承和(じょうわ)十二年(八四五)六月二十五日乙丑の年にご生誕(せいたん)になり、延喜(えんぎ)三年(九〇三)二月二十五日の丑の日に薨(こう)ぜられています。
また「菅家聖廟略伝(かんけせいびょうりゃくでん)」には菅公薨去(こうきょ)後、ご遺骸(いがい)を牛車(ぎっしゃ)で納める途中、牛が止(とど)まった安楽寺(現在の太宰府天満宮)を御墓所と定めたとあります。
潮江天満宮HPより
こちらは、対になる撫で牛です。
牛の民間信仰について
当神社の境内には、御祭神菅原道真公にゆかりの牛の臥像が置かれています。
牛は民間信仰として「安産・身体壮健・健康増進」等が伝えられています。
また「撫で牛信仰」が伝えらており、牛を撫でると災禍を除き健康を招くといわれ、さらに合格祈願にも御利益あるといわれています。
牛の臥像を撫で次に御自身の身体を撫で、安産・身体強健・健康増進にあやかって下さいとの事。
撫で牛の前に咲く飛龍黄梅の案内版。
実際に見れたのは一回だけですが、写真のとおりの美しさです。
大山祇神社
潮江天満宮本殿右脇に、細い参道があり、階段を上がった小高い丘の上にあります。
何やら意味ありげな磐座と祠も気になります。
【ご祭神】
大山祇命様
幡竜宮
こちらの神池には、龍神様が祀られています。
池の中の岩の上に、カニさんがいました🦀
潮江天満宮は、狛犬が多すぎるので、途中で撮影するのを投げ出してしまい、一部だけですが、ご紹介します♪
年代とか作者によって、それぞれ個性があって良いですね☺️👍
最後に潮江天満宮の御朱印帳と御朱印をご紹介♪
梅柄が可愛くて、高知の御朱印集め専用にしようと思って購入♪
こちらが潮江天満宮の御朱印です。
最初の1ページ目だからか?この御朱印は印刷してある部分に日付等を、書き足す形でした。
うしおえ天満宮
鏡川に沿って境内があります。駐車場は天神橋の袂から始まる参道の一部に止めるのですが、車の入口は奥の方でした。
社号標は他の看板に押され気味
天神橋からの参道の入口
アヒルかな
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