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たねまじ|真言宗豊山派本尾山(もとおざん)

種間寺の編集履歴
2020年07月05日(日)
高知県 曙町駅

さささんのプロフィール画像
ささ
2020年07月05日 18時26分

緯度

33.49173302934958

編集前:33.491754

経度

133.48759119571818

編集前:133.4875114

ふりがな

たねまじ

ご由緒

土佐湾の沿岸は、四国霊場のメッカのようである。種間寺もその一つで、土佐湾の航海に結びついた興味深い縁起が伝えられている。
6世紀のころである。敏達天皇の6年(577)百済の皇子から多くの経論とともに、仏師や造寺工を贈る旨の勅書がとどいた。彼らが渡来したのは用明天皇(在位585〜87)の時代、大阪・四天王寺の造営にあたった。ようやく落慶し、その帰途の航海中であった。土佐沖で強烈な暴風雨におそわれて、種間寺が建つ本尾山にほど近い秋山の港に難を逃れて寄港した。彼らは、海上の安全を祈って約145㎝の薬師如来坐像を彫造し、本尾山の山頂に祀った。これが寺の起源とされている。
その後、200年以上が経過して、唐から帰朝した弘法大師がこの地を訪ねたのは弘仁年間である。大師はその薬師如来像を本尊として安置し、諸堂を建てて開創された。その折に唐からもち帰った種子の米、麦、あわ、きび、豆またはひえの五穀を境内に蒔いたことから、種間寺と名付けたといわれる。
天暦年間(947〜57)には、ときの村上天皇(在位946〜67)が「種間」の勅額を下賜され、また、土佐藩主の山内公からの加護が厚く、広大な田畑や山林を寄贈されており、堂舎の修築も行われている。ただ、やはり廃仏毀釈の難では、容赦がなかった。 本尊は「安産の薬師さん」で、また、底の抜けた柄杓に人気があり、信者が多い。

ご祭神/ご本尊

薬師如来

アクセス

とさでん交通 「春野庁舎前」下車 (0.8km)
33【雪蹊寺】より
(自家用車)約20分 約8km
(徒歩)約1時間50分 約6.5km
35【清滝寺】より
(自家用車)約40分 約12km
(徒歩)約3時間 約9.5km

参拝時間

7:00~17:00

駐車場

道路沿い 普通70台・大型5台(無料)

御朱印

あり

トイレ

駐車場にあり

山号

本尾山(もとおざん)

院号

朱雀院(しゅじゃくいん)

創立

弘仁年間(810〜824)

創始者/開山・開基

弘法大師

巡礼

四国八十八箇所第34番

行事

正月三が日 3月8日 本尊御開帳

文化財

木造薬師如来坐像(重要文化財)
木造薬師如来立像、石造手水鉢(高知市指定有形文化財)

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