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光福寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年06月09日(日)
参拝:2024年6月吉日
池谷山光福寺は、浄土真宗本願寺派の寺院で御本尊は阿弥陀如来です。小鮎川を南に望む台地上にあり、毛利元就の祖(毛利季光)の縁のお寺になります。
1539年以前は浄土宗教念寺と号し、隆寛(りゅうかん)律師が開いたと伝わっています。
隆寛律師は、平安後期から鎌倉前期にかけての浄土宗の僧で、父は少納言藤原資隆。浄土宗の一派、長楽寺義の祖。多念義を説く中心人物でありました。
1227年、嘉禄の法難により朝廷から奥州配流に処された隆寛律師を、護送に当たった毛利季光が哀れみ、自身の領地である飯山に隠棲させました。
「西阿」と号した季光は、隆寛律師の人柄に心惹かれ深く帰依していたといいます。
隆寛律師は、飯山滞在5ヶ月後80歳で没しました。
その後天正の頃(1573〜1592)、僧春海と領主新田日向守が浄土真宗に改宗し、光福寺と号したといいます。
1539年以前は浄土宗教念寺と号し、隆寛(りゅうかん)律師が開いたと伝わっています。
隆寛律師は、平安後期から鎌倉前期にかけての浄土宗の僧で、父は少納言藤原資隆。浄土宗の一派、長楽寺義の祖。多念義を説く中心人物でありました。
1227年、嘉禄の法難により朝廷から奥州配流に処された隆寛律師を、護送に当たった毛利季光が哀れみ、自身の領地である飯山に隠棲させました。
「西阿」と号した季光は、隆寛律師の人柄に心惹かれ深く帰依していたといいます。
隆寛律師は、飯山滞在5ヶ月後80歳で没しました。
その後天正の頃(1573〜1592)、僧春海と領主新田日向守が浄土真宗に改宗し、光福寺と号したといいます。
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