御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方

みしまじんじゃ

三島神社のお参りの記録一覧
神奈川県 本厚木駅

ひなぎく
ひなぎく
2024年06月09日(日)
410投稿

江戸時代、三島神社は下古沢村の鎮守で村持でありました。古くは本照寺の裏地、通称「宮の奥」にあったものを現在地に遷座したという言い伝えがあります。

当社には懸仏二面が残されていて、ともに室町時代の製作と考えられています。
1つには十一面観音とみられる像が取りつけられていて、他の一面の像は失われています。

また、境内には「毛利氏発祥の地」の石碑があります。

鎌倉幕府の功臣である大江廣元が、現在の厚木市の小鮎、荻野、南毛利地区などを中心とした「相模国毛利庄」を所領していました。
廣元の四男・季光が後を継ぎ、庄名をそのまま苗字として「毛利季光」と名乗ったのがはじまりです。

季光が居住した屋敷跡は遺物等残っていませんが、地域伝承や古地図、古い地名などから、この三島神社を中心とした一画だったのではないかと伝わっているそうです。

また先日の賀茂別雷神社様のオフ会の話で恐縮ですが、毛利禰宜さまのお話の中に「その昔神奈川県に毛利の領地があり、毛利という地名がある」とありました。
現在、神奈川在住ですが聞いたことがなかったのでとても気になり、調べてみたところ家からそう遠くなかったので現地に行ってみたいと思い、今回の寺社巡りに至った次第です。

ちなみに、昔は毛利と書いて「もうり」ではなく「もり」と読んでいたとの話もあるようです。

三島神社(神奈川県)
三島神社(神奈川県)
三島神社(神奈川県)
三島神社(神奈川県)
三島神社(神奈川県)
三島神社(神奈川県)

大きな蜂が屋根の下を飛んでいて、怖くて中を確認できませんでした😢末社か、懸仏が安置されるお堂なのか…

三島神社(神奈川県)

文字がほぼ消えてしまっていました。

三島神社(神奈川県)

「毛利氏発祥の地 毛利季光 屋敷跡」
毛利氏は、源頼朝が開いた鎌倉幕府の功臣であった大江廣元からでている。
大江廣元は、頼朝の政治を補佐し、特に守護・地頭の設置を献策したことで知られている。これらの功により、現在の厚木市小鮎・荻野・南毛利地区などを中心とした「相模国毛利庄」をはじめとした多くの所領が与えられた。
廣元には六男五女の子供があり、四男の季光が後を継ぎ、庄名をそのまま苗字として毛利季光と名乗った。季光は毛利元就や毛利輝元の先祖であって、大江氏流毛利氏の始まりである。
季光が居住した屋敷は、遺物等に残っていないものの、地域伝承や古い地図、古い地名などから、この三島神社を中心とした一画にあったと伝えられている。

三島神社(神奈川県)
三島神社(神奈川県)

境内横。特に看板もないのですが、もしかしたら駐車場かもしれません。

三島神社(神奈川県)

紫陽花がたくさん咲いていました。

三島神社(神奈川県)
もっと読む
行きたい
投稿する
お問い合わせ

最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう

利用開始をもって利用規約プライバシーポリシー
同意したものとみなします。

※購読はいつでも解除できます。

This site is protected by reCAPTCHA and the Google
Privacy Policy andTerms of Service apply.

御朱印背景
ホトカミを続けるために、あなたのサポートが必要です。

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから

お問い合わせ