ゆぎょうじ(しょうじょうこうじ)
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時宗総本山 遊行寺(正式:清浄光寺)のお参りの記録(4回目)
投稿日:2024年12月11日(水)
参拝:2024年12月吉日
24.12.08。先の諏訪神社より徒歩3分。藤沢市西冨にある時宗総本山。
遊行寺① 昼の部
【遊行寺と藤沢】
当山の正式名称は、藤沢山無量光院清浄光寺です。遊行四代呑海上人以来、遊行上人が住まわれるお寺として『遊行寺』の名で親しまれています。「遊行」とは、僧侶が布教しながら各地を巡り歩くことです。
宗祖一遍上人は遊行中、念仏札を配る「賦算」を通して人々に結縁を勧め、「踊り念仏」を通して人々と念仏の歓びを分かち合われました。
藤沢は遊行寺の創建時より門前町として栄え、行政・経済・文化などにおいて遊行寺と深い結びつきを持ちながら、旧東海道の「藤沢宿」、そして今日の「藤沢市」へと発展していきました。
〜御朱印挟み紙より〜
ライトアップに(12月7日〜22日)合わせて参詣。境内の樹齢700年とも伝わるイチョウの大木と東海道随一といわれる木造本堂のライトアップが見応え充分でありしました。写真が多いので昼の部と夜の部とを分けて投稿させて頂きます。
遊行寺① 昼の部
【遊行寺と藤沢】
当山の正式名称は、藤沢山無量光院清浄光寺です。遊行四代呑海上人以来、遊行上人が住まわれるお寺として『遊行寺』の名で親しまれています。「遊行」とは、僧侶が布教しながら各地を巡り歩くことです。
宗祖一遍上人は遊行中、念仏札を配る「賦算」を通して人々に結縁を勧め、「踊り念仏」を通して人々と念仏の歓びを分かち合われました。
藤沢は遊行寺の創建時より門前町として栄え、行政・経済・文化などにおいて遊行寺と深い結びつきを持ちながら、旧東海道の「藤沢宿」、そして今日の「藤沢市」へと発展していきました。
〜御朱印挟み紙より〜
ライトアップに(12月7日〜22日)合わせて参詣。境内の樹齢700年とも伝わるイチョウの大木と東海道随一といわれる木造本堂のライトアップが見応え充分でありしました。写真が多いので昼の部と夜の部とを分けて投稿させて頂きます。
師走 限定御朱印
惣門(総門)
国登録有形文化財。
国登録有形文化財。
石垣・築地塀
国登録有形文化財。
国登録有形文化財。
参道(いろは坂)
山門跡
明治13年に焼けるまで銅屋根の仁王門がありました。
明治13年に焼けるまで銅屋根の仁王門がありました。
大銀杏
樹齢700年(一説には500年)。
樹齢700年(一説には500年)。
本堂遠景
手水舎
国登録有形文化財。
国登録有形文化財。
手水鉢
明治100年記念として新設。
明治100年記念として新設。
一遍上人像
本堂
国登録有形文化財。
国登録有形文化財。
内陣
地蔵堂
内部は撮影禁止です。
内部は撮影禁止です。
なでなで地蔵
俣野大権現
祭神は俣野五郎影平であり、呑海上人の兄であり、当時の大壇越でありました。
祭神は俣野五郎影平であり、呑海上人の兄であり、当時の大壇越でありました。
乙女椿
↓
六地蔵と五輪塔
大悲水子地蔵菩薩像
昭和56年(1981)建立。
昭和56年(1981)建立。
鐘楼
国登録有形文化財。
国登録有形文化財。
↓
梵鐘
百間廊下
国登録有形文化財。
国登録有形文化財。
三宝の松
中雀門
藤沢市指定重要文化財。
安政6年(1859)に建立された、境内で最も古い建造物です。
藤沢市指定重要文化財。
安政6年(1859)に建立された、境内で最も古い建造物です。
黒門
御番方や僧堂(寺務所)への入り口。
※黒門とは黒衣を着る宗門、つまり仏門と言う意味のようです。
御番方や僧堂(寺務所)への入り口。
※黒門とは黒衣を着る宗門、つまり仏門と言う意味のようです。
御番方
国登録有形文化財。
信徒・団参の方々の入り口。
国登録有形文化財。
信徒・団参の方々の入り口。
寺務所・僧堂
直書きの御朱印を拝受しました。
直書きの御朱印を拝受しました。
黒門前よりの大銀杏
すてき
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こばけん1156投稿
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