きんしゃさんかんのんどう
御朱印・神社お寺の検索サイト
楽しみ方金砂山観音堂のお参りの記録(1回目)
投稿日:2025年12月20日(土) 20時57分23秒
参拝:2025年11月吉日
藤沢駅より徒歩10分ほど。藤沢橋交差点付近の高台にあります。
寛永年間(1624〜43)に建立され、ご本尊は正観音菩薩です。俗に帯解(おびとけ)観音とも呼ばれます。帯解とは幼児が初めて帯を締める儀式のことで、現在の七五三に通じています。安産、子育に霊験あらたかといわれ、毎月17日は女性の参拝が多かったといいます。(17日は観音様の縁日)
明治の廃仏毀釈で観音像は遊行寺の塔頭寺院である真浄院に移転しましたが、信徒の夢枕に「金砂山に帰りたい」と現れたので、大正5年に寄付を集めて大正8年4月24日現在の地に堂宇を新築したといいいます。
創建者は、金井入道守清の次男・太郎左衛門清仲が入道して清西と号し、堂を営んだといいます。この方は清和源氏の流れをくむ方で、上野国群馬郡金井庄を拝領して金井を姓にしたといいます。
清西の父・守清は、房総の里見氏に従い、国府台合戦にて出陣し負傷しました。いったん下総国に逃げ落ちましたが、後に藤沢の地に来て剃髪し豊後入道と号し、慶長15年(1610)に77歳で没したといいます。お墓が遊行寺境内にあるそうです。
寛永年間(1624〜43)に建立され、ご本尊は正観音菩薩です。俗に帯解(おびとけ)観音とも呼ばれます。帯解とは幼児が初めて帯を締める儀式のことで、現在の七五三に通じています。安産、子育に霊験あらたかといわれ、毎月17日は女性の参拝が多かったといいます。(17日は観音様の縁日)
明治の廃仏毀釈で観音像は遊行寺の塔頭寺院である真浄院に移転しましたが、信徒の夢枕に「金砂山に帰りたい」と現れたので、大正5年に寄付を集めて大正8年4月24日現在の地に堂宇を新築したといいいます。
創建者は、金井入道守清の次男・太郎左衛門清仲が入道して清西と号し、堂を営んだといいます。この方は清和源氏の流れをくむ方で、上野国群馬郡金井庄を拝領して金井を姓にしたといいます。
清西の父・守清は、房総の里見氏に従い、国府台合戦にて出陣し負傷しました。いったん下総国に逃げ落ちましたが、後に藤沢の地に来て剃髪し豊後入道と号し、慶長15年(1610)に77歳で没したといいます。お墓が遊行寺境内にあるそうです。





『鼻黒稲荷大明神』
こちらにもお祀りされています。セブンイレブンの方とどちらが先なんですかね?
こちらにもお祀りされています。セブンイレブンの方とどちらが先なんですかね?




『嗚呼九月一日』と刻まれた震災記念碑(右)。
背面には震災時の様子や記念碑を建てることになった経緯が記されています。
背面には震災時の様子や記念碑を建てることになった経緯が記されています。

画像を加工しても下の方が読めない😭

すてき
投稿者のプロフィール

ひなぎく823投稿
幼少期から神社や神話に触れてきました。ご由緒やその土地の歴史、かかわる人々に想いを馳せたり考察をするのが好きです。歴史を調べながら関連する場所を数珠繋ぎに巡っています。 すてきやフォローありがと...もっと読む
ホトカミ見ました! で広がるご縁
ホトカミを見てお参りされた際は、もし話す機会があれば住職さんに、「ホトカミ見てお参りしました!」とお伝えください。
住職さんも、ホトカミを通じてお参りされる方がいるんだなぁと、ホトカミ無料公式登録して、情報を発信しようという気持ちになるかもしれませんし、
「ホトカミ見ました!」きっかけで豊かな会話が生まれたら、ホトカミ運営の私たちも嬉しいです。









