じょうしょうじ
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上正寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2022年11月20日(日)
参拝:2022年11月吉日
22.11.16。先の熊野神社より徒歩8分。表は国道1号線沿い、裏手は住宅街の茅ヶ崎市小和田2丁目にある浄土真宗本願寺派の寺院。
山号 龍澤山
院号 龍徳院
寺号 上正寺
創建 文治年中(1185〜89年)
開山 了智坊(佐々木四郎高綱公)
本尊 阿弥陀如来
【上正寺縁起】
元禄十五年(1702)僧 圓春の記せし境内太子堂縁起によるに、圓融院第四王子 尊勝法親王 郡中寺尾郷(市内小出町)に一宇を建て、海圓院と号し、顕密兼学の道場とす。文治年中(1185-89)当村に移れり。後、嘉禄年中(1225)住僧了智坊道圓(佐々木四郎高綱公)、親鸞聖人に国府津で謁し、其の宗法に帰依し今の宗派に改む。因りて了智坊を宗の開祖とす。
其の頃 親鸞聖人 寺号を無上正覚寺と名づく。後、寺務を智圓に譲り、信州松本に正行寺を建て、仁治ニ年(1241)二月二十九日其の地にて寂す。齡七十ニ才。後、本山 覚如上人巡国の折り、当寺により、寺号を略して「上正寺」とよびしより今の称となれりと言う。
〜相模風土記より抜粋(上正寺HPにて)〜
本日最後の参詣箇所。国道1号線沿いの歩道から直ぐの山門へ向かうと、大きな樹木が門前にあり、山寺へ来た感がする良き雰囲気のお寺さんです。又寺域も広く開放感があります。現在はコロナ禍で中止してるようですが、以前は本堂で、音楽会・ジャスコンサート等イベントも開催されていた模様です。門徒以外でもOKとの事なので又再開後には訪ねてみたいものです。
山号 龍澤山
院号 龍徳院
寺号 上正寺
創建 文治年中(1185〜89年)
開山 了智坊(佐々木四郎高綱公)
本尊 阿弥陀如来
【上正寺縁起】
元禄十五年(1702)僧 圓春の記せし境内太子堂縁起によるに、圓融院第四王子 尊勝法親王 郡中寺尾郷(市内小出町)に一宇を建て、海圓院と号し、顕密兼学の道場とす。文治年中(1185-89)当村に移れり。後、嘉禄年中(1225)住僧了智坊道圓(佐々木四郎高綱公)、親鸞聖人に国府津で謁し、其の宗法に帰依し今の宗派に改む。因りて了智坊を宗の開祖とす。
其の頃 親鸞聖人 寺号を無上正覚寺と名づく。後、寺務を智圓に譲り、信州松本に正行寺を建て、仁治ニ年(1241)二月二十九日其の地にて寂す。齡七十ニ才。後、本山 覚如上人巡国の折り、当寺により、寺号を略して「上正寺」とよびしより今の称となれりと言う。
〜相模風土記より抜粋(上正寺HPにて)〜
本日最後の参詣箇所。国道1号線沿いの歩道から直ぐの山門へ向かうと、大きな樹木が門前にあり、山寺へ来た感がする良き雰囲気のお寺さんです。又寺域も広く開放感があります。現在はコロナ禍で中止してるようですが、以前は本堂で、音楽会・ジャスコンサート等イベントも開催されていた模様です。門徒以外でもOKとの事なので又再開後には訪ねてみたいものです。
山門遠景
山門
山門右手に《親鸞聖人像》
参道
山門を潜り左手に《鐘楼》
↓
↓
↓
参道左手に《石灯籠》
旧寛永寺のもの。
市重文。
旧寛永寺のもの。
市重文。
↓
木造聖徳太子立像
茅ヶ崎市HPよりの写真。
市重文。
茅ヶ崎市HPよりの写真。
市重文。
参道左手に《正覚廟》
共同墓地。↓
共同墓地。↓
参道左手に《水屋》
参道右手に《石灯籠》
本堂
現在の本堂は2003年に落成。
現在の本堂は2003年に落成。
本堂前より振り返り。
本堂左サイドより。
脇門
コウヤマキの古木。
門徒会館
東屋
庫裡方向
御朱印はしていませんとの事です。
浄土真宗の寺院さんはほぼ同じですね。
御朱印はしていませんとの事です。
浄土真宗の寺院さんはほぼ同じですね。
余談
浄土真宗というと、親鸞聖人と歎異抄ですね。仏教に造詣の深い五木寛之氏の本は馴染みやすく参考にしてます。
浄土真宗というと、親鸞聖人と歎異抄ですね。仏教に造詣の深い五木寛之氏の本は馴染みやすく参考にしてます。
すてき
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