りゅうこうじ
御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
龍口寺ではいただけません
広告
龍口寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年05月08日(土)
参拝:2021年4月吉日
龍口寺(りゅうこうじ)は、神奈川県藤沢市片瀬にある日蓮宗の本山の寺院(霊蹟寺院)。山号は寂光山(じゃくこうさん)。鎌倉時代の龍口刑場跡に建つ。「片瀬のお祖師様(おそっすさま)」と呼ばれる。
鎌倉時代後期の1271年、日蓮宗開祖の日蓮聖人が龍口刑場で処刑されそうになった(龍ノ口法難)が、その半世紀以上後の1337年、日蓮の弟子・日法がこの地を「龍ノ口法難霊蹟」として「敷皮堂」という堂宇を建立し、自作の祖師像(日蓮像)と首敷皮を安置したのが始まりとしている。
本格的な寺院の様式を整えたのは、江戸時代初期に日蓮宗信者の島村采女が土地を寄進して以降とされている。なお、創建から明治時代の1886年までの550年は、専任の住職を置かず、片瀬八ヶ寺が輪番で維持したとのこと。
当寺は、腰越海水浴場の内陸200m、江ノ島電鉄・江ノ島駅、湘南モノレール・湘南江の島駅の東方100mの市街地にある。(境内の西側敷地内を湘南モノレールが走っている?)海岸道路の国道134号線から内陸に逸れた国道467号線の突き当りにある(週末の渋滞エリア)ため、場所としては分かりやすい。交通量の多い賑やかな境内の南側に対し、北側は小山が控えていて、境内は静かで落ち着いた雰囲気。大きな祖師堂の背後の小高い場所に五重塔があって、寺院として絵になる伽藍配置。
参拝時は週末の昼ごろで、近所住民か不明だが、参拝者が数組来ていた。
鎌倉時代後期の1271年、日蓮宗開祖の日蓮聖人が龍口刑場で処刑されそうになった(龍ノ口法難)が、その半世紀以上後の1337年、日蓮の弟子・日法がこの地を「龍ノ口法難霊蹟」として「敷皮堂」という堂宇を建立し、自作の祖師像(日蓮像)と首敷皮を安置したのが始まりとしている。
本格的な寺院の様式を整えたのは、江戸時代初期に日蓮宗信者の島村采女が土地を寄進して以降とされている。なお、創建から明治時代の1886年までの550年は、専任の住職を置かず、片瀬八ヶ寺が輪番で維持したとのこと。
当寺は、腰越海水浴場の内陸200m、江ノ島電鉄・江ノ島駅、湘南モノレール・湘南江の島駅の東方100mの市街地にある。(境内の西側敷地内を湘南モノレールが走っている?)海岸道路の国道134号線から内陸に逸れた国道467号線の突き当りにある(週末の渋滞エリア)ため、場所としては分かりやすい。交通量の多い賑やかな境内の南側に対し、北側は小山が控えていて、境内は静かで落ち着いた雰囲気。大きな祖師堂の背後の小高い場所に五重塔があって、寺院として絵になる伽藍配置。
参拝時は週末の昼ごろで、近所住民か不明だが、参拝者が数組来ていた。
境内入口の<仁王門>。
仁王門をくぐると階段があって、その上が<山門>。江戸時代末期1864年建立。
山門から境内を望む。
本堂手前右手にある<手水舎>。屋根の形が面白い。
階段下から<本堂>を望む。右奥に<五重塔>。
<本堂>正面。間口12間、奥行15間と大きな堂宇。
<本堂>前面。扁額の文字が達筆過ぎて読めない...汗
本堂の右奥にある<五重塔>。本堂より少し高い位置にある。
神奈川県唯一という<木造五重塔>は、明治時代末期の1910年建立。
五重塔への通路からは、江の島の海(腰越海岸)が見える。
ここから境内東側を仁王門に向かって進む。まず<浄行堂>に立つ<浄行菩薩>。日蓮聖人は浄行菩薩の化身と言われる。
本堂から見て左前方に立つ<日蓮聖人像>。
日蓮聖人像の後ろにある<鐘楼>。
鐘楼の<梵鐘>。「延寿の鐘」と呼ばれている。参拝者も撞くことができる。
山門近くにある<大書院>。1926年に信濃国松代藩の藩邸(通称、養蚕御殿)を移築。
参道を挟んで手水舎の反対側にある<光松妙見堂>。旧法善房。<妙見大菩薩>の扁額。
仁王門の前には、<江ノ電>が路面電車の状態で道を走っている。
すてき
投稿者のプロフィール
惣一郎1269投稿
ホトカミ見ました! で広がるご縁
ホトカミを見てお参りされた際は、もし話す機会があれば住職さんに、「ホトカミ見てお参りしました!」とお伝えください。
住職さんも、ホトカミを通じてお参りされる方がいるんだなぁと、ホトカミ無料公式登録して、情報を発信しようという気持ちになるかもしれませんし、
「ホトカミ見ました!」きっかけで豊かな会話が生まれたら、ホトカミ運営の私たちも嬉しいです。