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楽しみ方一之宮天満宮(梶原景時館跡)のお参りの記録一覧

寒川さんから一の鳥居まで歩いて
そのままこちらまでお伺いしました。
大河ドラマで存在を知り
梶原殿の館跡という事で気にはなってましたが
特に感じる事はありませんでした。







25.06.04。先の薬師堂より徒歩2分。同じく旧大山街道沿いに鎮座。
《梶原景時館跡》
【由緒】〜ネット情報より〜
梶原景時の館の物見の跡に、里人が梶原氏の短歌をたしなむ風雅をたたへ、天満宮を創建したと言われている。境内にある「天満宮遺蹟碑」によると、俗に西之天満宮と呼ばれたが、社殿腐朽のため明治42年1月に一之宮八幡宮に合祀されたと言う。
2022年のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で中村獅童が演じた景時を思い出しました。神社自体より歴史遺跡として強調されている場所ですね!

鳥居

道標
「従是一之宮明神道」
文政9年(1826)土地改良で当地に移されたとありました。
寒川神社への道標だったものか?

参道




太鼓橋


手水舎
蛇口を捻ると水は出ました。


社殿


境内は公園でもあります。

奥に境内社(名前は不明)

境内の樹木は相当数の樹齢のようです。


石碑

紫陽花



鎌倉幕府の重臣・梶原景時の館跡とされるのが、寒川町一之宮にある一之宮天満宮である。館址に建てられた小さな祠は、教養人でもあった景時を偲び、里人が館の物見台跡に創建したと伝えられる。
● 発掘調査で確認された遺構
2001年の発掘調査では、館の堀跡とみられる遺構が確認された。ただし、これが直接梶原氏に関わるものかは不明であり、今後の調査研究が待たれる。
● 梶原景時と寒川の館
景時は源頼朝の厚い信任を受け、鎌倉幕府創設に貢献した御家人である。彼の館は寒川町一之宮にあったと『吾妻鏡』や『新編相模国風土記稿』に記されている。館の西側には「城之下(じょうのした)」という地名が残り、当時の名残をとどめている。寒川の館は、鎌倉の本宅とは別に、非常時の拠点や情報収集の場として、頼朝から与えられた所領の一つに建てられたと考えられる。
● 鎌倉幕府での役割と失脚
景時は「諫言の景時」と称され、源義経との対立などから悪評も残るが、鎌倉の武士の中でも特に重要な存在だった。頼朝の死後、幕府の合議制13人の一人となるが、御家人66人による弾劾を受け失脚。京へ向かう途中、在地の武士に討たれた。
● 梶原景時館跡と現在
館は現存しないが、その跡地とされる寒川町一之宮には、一之宮天満宮が祀られている。景時の功績とともに、鎌倉時代の歴史を今に伝える場所となっている。







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