みょうでんじ|日蓮宗|多宝谷山
妙伝寺(妙傳寺)のお参りの記録一覧
22.12.06。先の浄光明寺さんより徒歩8分。鎌倉市扇ガ谷2丁目の閑静な住宅地最奥にある日蓮宗の寺院。
山号 多宝谷山
創建 承応元年(1652年)
開山 不詳
開基 徳川頼房
本尊 日蓮坐像
当寺は、東京都文京区白山にあった寺で、承応元年、紀州徳川頼房の祈願所として創建されたと伝えられている。道路拡張工事の影響で、昭和49年(1974年)、この地へ移転してきた。
旧本尊は妙見北辰菩薩、現在は日蓮坐像。妙見北辰菩薩は昭和20年の戦災で焼失してしまったとのことです。
現在地は、忍性が開山の多宝寺(開基:北条業時)とういう真言律宗の寺址である。裏山には、多宝寺長老の覚賢五輪塔が建ち、その周辺には「多宝寺址やぐら群」がある。
~Webサイト「鎌倉手帳(寺社散策)」引用~
鎌倉の谷戸の扇ガ谷最奥にあるので、人が一人もいない境内、本当に静寂さのある場所です。
庫裡らしい建物も無人でしたが、他のサイトを見ると、御首題を拝受できるようです。鎌倉は来る機会が多いので、次回は在宅を確認してから再訪したい。
途中に《泉の井》
鎌倉十井の一つ。
寺院入り口方向。
寺号標
石段を上がって境内を臨む。
本堂
右サイドより。
境内
↓
庫裡
本日は応答無しでした。
やぐら
↓
浄行堂
↓
21.02.12 鎌倉「妙伝寺」参拝 _ 鎌倉市扇ガ谷
01) 日蓮宗「 多宝谷山妙伝寺 」 本堂 _ 鎌倉市扇ガ谷
02) 本堂に向かって左方の、竹林方向。
03) 墓地なので、咲き始めた梅の木だけをズームアップ。
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<承応元年(1652年)現在の東京都文京区白山に創建した。
昭和20年(1945年)東京大空襲で伽藍を焼失した。
昭和49年(1974年)現在地へ移転した経緯がある。>
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「妙伝寺」のページなのだけれども・・・ ・・・
・・・ ・・・歴史に興味がある方への参考として
廃寺「多宝寺」跡 に 移転(/移設?)されたことを書いておく。
ついでに史跡として ’ 崇寿寺阯 ’・’ 勝長寿院跡 ’・’ 太平寺跡 ’
・’ 東勝寺跡 ’・’ (鶴岡八幡宮 ” 寺 ”)二十五坊跡 ’ ・ ’ 相槌稲荷社跡 ’>
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21.02.12D #鎌倉 「 #妙伝寺 」 _ #鎌倉市扇ガ谷
https://mitch1.blog.ss-blog.jp/2021-02-17
/ #日蓮宗多宝谷山妙伝寺 #多宝谷山妙伝寺 #多宝寺跡 #泉ヶ谷
20.11.26 鎌倉「妙伝寺」参拝 _ 鎌倉市扇ガ谷
前回 20.10.29 の参拝では 工事中で作業足場が組まれていたことと
撮り洩らした場所もあったので、再訪した。
01-1) 日蓮宗「 多宝谷山妙伝寺 」 門柱の前。
今回は撮らなかったけど両側にはモダンな民家が建った路地の奥で
高い屋根の本堂すら樹木で遮られ、
ここまで来ても まさか寺院と思う方は居られないと思う。_ 鎌倉市扇ガ谷2-21
01-2) 前回は上からだけで撮り洩らした、参道を下から撮った。
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02-1) 「妙伝寺」本堂
02-2) 向拝の唐破風
02-3) 向拝の、唐破風棟鬼飾り(からはふむね おにかざり)。
意匠例として雲・若葉・鴟尾などのうち、雲か?
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前回20.10.29では、ピカピカに光った銅板製の鬼飾り1基が地上に置かれていた。
直近の撮り洩らしを悔やむ。
最近の寺院建築の屋根板材では既に薬剤処理済みの濃い緑色素材が主流の感じがするが、
こういった造形物は 銅板材を焼き鈍しをしての絞り加工などを要す(からなのか?)ので
ピカピカ無垢の銅板材で造るのだろうか?
設置当初はピカピカだけど
薬品処理?思いのほか早く緑青がつく(緑青がついたように見える)のは知っていたが、
たかだか ひと月ほど経っての再訪では 既に光沢が無く くすんだ色になっていた。
02-4) 本堂の扁額 ” 多宝谷山 ”
02-5) 向拝軒下から、向拝柱・海老虹梁・木鼻・向拝桁・
・地垂木→打越垂木1→打越垂木2⇒飛檐垂木(ひえんだるき)。
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03-1) 本堂に向かって左からの遠景
03-2) 向かって左の、主棟鬼飾り。
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04-1) 向かって右から、本堂側面。
04-2) 向かって右の、主棟鬼飾り。
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<承応元年(1652年)現在の東京都文京区白山に創建した。
昭和20年(1945年)東京大空襲で伽藍を焼失した。
昭和49年(1974年)現在地へ移転した経緯がある。>
「妙伝寺」のページなのだけれども・・・ ・・・
・・・ ・・・歴史に興味がある方への参考として
廃寺「多宝寺」跡 に 移転(/移設?)されたことを書いておく。
ついでに史跡として ’ 崇寿寺阯 ’・’ 勝長寿院跡 ’・’ 太平寺跡 ’・’ 東勝寺跡 ’
・’ (鶴岡八幡宮 ” 寺 ”)二十五坊跡 ’ ・ ’ 相槌稲荷社跡 ’ >
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20.11.26I #鎌倉 「 #妙伝寺 」 _ #鎌倉市扇ガ谷
https://mitch1.blog.ss-blog.jp/2020-11-30-1
/ #日蓮宗多宝谷山妙伝寺 #多宝谷山妙伝寺 #多宝寺跡 #泉ヶ谷
20.10.29 鎌倉「妙伝寺」 < 日蓮宗多宝谷山妙伝寺 >_ 鎌倉市扇ガ谷
20.10.29 鎌倉「妙伝寺」 < 日蓮宗多宝谷山妙伝寺 >_ 鎌倉市扇ガ谷
00) 観光客の参拝は極々僅少だと思う、「妙伝寺」への入口。
札所でもあり観光客さまの参拝も多いと思う
谷戸 ’ 泉ヶ谷 ’ の 「浄光明寺」参道前と ’ 泉の井 ’ 前 を通り越し、
谷戸最奥 行止り手前の路地。
私自身も四季折々に「浄光明寺」を参拝するのだけれども、
久しく来ない間に両側にはモダンな民家が建って路地も広く舗装された。
立ち位置は、少々荒れていながらも泥濘回避程度のアスファルトの狭隘路。
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01-1) もっと手前からの写真が必要だったと悔やむが
奥:扉が無く表札もない民家であるかのような、大谷石の門柱方向。
手前:草刈りされたばかりでも、民家の通用口階段のような参道。
決して誹謗では なくて!路地入口からは屋根も階段も見えず、
敢えて寺院としての勤行に徹しているかのような質実剛健さを感じる寺院。
01-2) 境内参道 と 本堂方向。
当日は屋根の修復工事で、大掛かりな足場が組まれていた。
工事完了後に再訪して、丁寧に撮り直すつもり。
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02-1) 修復工事中の本堂。
足場は正面 と 屋根の両端最上までなので、
銅板製の屋根飾りの 交換/新規追加か? らしい。
( 名称が解らないので、瓦屋根で例えれば、’ 鬼瓦 ’ に相当するもの)
02-2) 本堂に向かって、正面の右側。
02-3) 「日蓮宗多宝谷山妙伝寺 」_ 鎌倉市扇ガ谷2-21
本堂の扁額 ” 多宝谷山(たほうこくざん ) ” 。
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<承応元年(1652年)現在の東京都文京区白山に創建した。
昭和20年(1945年)東京大空襲で伽藍を焼失した。
昭和49年(1974年)現在地へ移転した経緯がある。
「妙伝寺」のページなのだけれども・・・ ・・・
・・・ ・・・歴史に興味がある方への参考として
廃寺「多宝寺」跡 に 移転(/移設?)されたことを書いておく。
ついでに史跡として ’ 崇寿寺阯 ’・’ 勝長寿院跡 ’・’ 太平寺跡 ’
・’ 東勝寺跡 ’・’ (鶴岡八幡宮 ” 寺 ”)二十五坊跡 ’ ・ ’ 相槌稲荷社跡 ’ >
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03-1) 向かって左斜めからの、本堂遠景。
03-2) 向かって左斜めからの、本堂近景。
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04-1) 本堂の向かって右側面
04-2) 前の写真04-1)から振り返った場所の ’ やぐら ’。
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05-1) 墓地から見た、本堂背面。
05-2) 墓地内の観音堂
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墓地の奥まで行ったことはないが、塀で囲われて山中へは入れない ’ らしい ’。
廃寺「多宝寺」の国指定重要文化財 ” 覚賢塔 ” が山中に在り、
「浄光明寺」での特別公開日に、冷泉家の祖 ’ 冷泉為相墓所 ’ 裏の山中から参拝できる。
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06-1) 向かって左側境内の、庫裡(と、居住建屋か?)。
06-2) 竹林
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07) 写真06-1)から振り返った方向の境内。
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20.10.29E #鎌倉 「 #妙伝寺 」 < #日蓮宗多宝谷山妙伝寺 >
https://mitch1.blog.ss-blog.jp/2020-11-01
_ #鎌倉市扇ガ谷 / #多宝寺跡 #泉ヶ谷
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