ずいせんじ
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瑞泉寺ではいただけません
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瑞泉寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年04月13日(火)
参拝:2021年2月吉日
瑞泉寺(ずいせんじ)は、神奈川県鎌倉市二階堂にある臨済宗円覚寺派の寺院。山号は錦屏山(きんぺいさん)。本尊は釈迦如来。鎌倉三十三観音6番札所。鎌倉随一の花の寺として知られ、梅、つつじ、牡丹、マンサクなど一年中花が絶えないが、スイセンがとくに有名。境内は国の史跡、庭園は鎌倉期の唯一の庭園として国の特別名勝となっている。
創建は鎌倉時代末期の1327年、開基は鎌倉幕府の重臣であった二階堂道蘊、開山は夢窓国師(夢窓疎石)、当初<瑞泉院>と称した。その後、初代鎌倉公方の足利基氏(足利尊氏の四男)が夢窓疎石に帰依し当寺を中興、寺号を<瑞泉寺>と改め、以後鎌倉公方の菩提寺とした。1387年に関東十刹(鎌倉十刹、鎌倉五山に次ぐもの、現在でも鎌倉残っているのは瑞泉寺と大慶寺のみ)に列した。
当寺は、JR鎌倉駅からバスで北東方向に2km進んだ大塔宮バス停(鎌倉宮前)から、さらに右方向(東方向)になだらかな山道を1km弱登った「紅葉ヶ谷(もみじがやつ)」と呼ばれる谷戸(やと)にある。山間の高台の一部を寺院としたような造りで、境内は植物園の中に伽藍が存在する感じ。本堂裏の崖地に夢窓礎石が作庭したという岩盤を削った禅宗様庭園がある。
参拝時は週末の午前中で、梅の時期だと思って行ってみたが、ほとんどの木がまだ咲いていなかった。参拝者は途切れることなく来ていた。
創建は鎌倉時代末期の1327年、開基は鎌倉幕府の重臣であった二階堂道蘊、開山は夢窓国師(夢窓疎石)、当初<瑞泉院>と称した。その後、初代鎌倉公方の足利基氏(足利尊氏の四男)が夢窓疎石に帰依し当寺を中興、寺号を<瑞泉寺>と改め、以後鎌倉公方の菩提寺とした。1387年に関東十刹(鎌倉十刹、鎌倉五山に次ぐもの、現在でも鎌倉残っているのは瑞泉寺と大慶寺のみ)に列した。
当寺は、JR鎌倉駅からバスで北東方向に2km進んだ大塔宮バス停(鎌倉宮前)から、さらに右方向(東方向)になだらかな山道を1km弱登った「紅葉ヶ谷(もみじがやつ)」と呼ばれる谷戸(やと)にある。山間の高台の一部を寺院としたような造りで、境内は植物園の中に伽藍が存在する感じ。本堂裏の崖地に夢窓礎石が作庭したという岩盤を削った禅宗様庭園がある。
参拝時は週末の午前中で、梅の時期だと思って行ってみたが、ほとんどの木がまだ咲いていなかった。参拝者は途切れることなく来ていた。
寺院入口。他の観光客がいなければ、間違って迷い込んだと思いかねない景色。小さな建物は料金所。撮影位置の後ろ側は小さな駐車場。
参道を進み、ここから坂道。左脇の石碑には<名勝瑞泉寺庭園 史跡瑞泉寺境内>の文字。
階段を少し登ると、参道が二つに分かれている。こちらが石畳の参道コース。
もう一つが、苔むしたボコボコ階段コース。自分はこちらを選択。
階段を上がり切った辺りにある<松陰吉田先生留跡碑>。
境内入口の<山門>。
山門をくぐって、はじめに見える景色。まだ葉も花もない、たくさんの落葉樹が植わっている。写真左手は大梅林。
山門をくぐって、左手に進むと<鐘楼>。梵鐘は<錦屏晩鐘>という。
本堂からまっすぐ伸びる道に戻って、右前方の庭園・建物を望む。
本堂遠景。
本堂近景。本堂は正式には<大雄寶殿>といい、中央に本尊釈迦牟尼仏、右側に開山夢窓国師坐像、左側に阿弥陀如来と千手観世音を祀ってある。
本堂を斜めから。本堂中央の前には<黄梅(オウバイ)>という珍しい梅の木がある。花のピークだと相当映えそう。
本堂から左奥に進むと<地蔵堂>がある。中に<どこもく地蔵>を祀る。
名勝瑞泉寺庭園。野性味あふれる洞穴と池。洞穴は<天女洞>という。
別カット。鎌倉期の庭園と思えばすごいかも。
本堂に向かって、境内左手にある<寺務所>。御朱印はこちら。
すてき
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