きょうおんじ|時宗|中座山(中座山大聖院教恩寺 ちゅうざさんたいしょういんきょうおんじ)
教恩寺のお参りの記録一覧
![銀河 のぞみ](https://minimized.hotokami.jp/UooiZ4IJWdp7VBKhm3pJ0_kg80UUqYhdEZG18EOmA9M/s:30:30/q:20/plain/https://hotokami-user.s3.amazonaws.com/20220828-133905_V3fSb8FNsI.png@webp)
夫が鎌倉にお返し物に使うお菓子を買いに行きたいと言うので便乗し、駅からそう遠くないエリアに参拝することにしました。
教恩寺もよく出没するエリアにありながら、細い道を入り住宅地に紛れるように存在しているので、ここは分かりにくいお寺三本の指に入りそう(当社比)
山門の羅漢像が見どころ、と聞いていましたので見上げてみる⋯(写真無しです)
本堂への途中に古いお地蔵様が沢山。首の落ちた観音様もあり、歴史の古さでしょうか。
本堂は風が強いので細く開けられるようになっていて、ご本尊様を見ることが出来ました。
御朱印は窓口からインターホンを押してご対応頂きました。
御朱印(直書き)
山門
![mitch](https://minimized.hotokami.jp/X3md3VypewfatMromu0_BNyE7L32AOPwUVa8JOErfmk/s:30:30/q:20/plain/https://hotokami-user.s3.amazonaws.com/20190724-205232_YdG6lLyK0S.jpg@webp)
24.01.03H 鎌倉「教恩寺」参拝 _ 鎌倉市大町
01) 時宗 「 中座山大聖院教恩寺 」 山門方向 遠景
_ 鎌倉市大町 10:11am頃~
鎌倉観音巡礼 第12番札所(聖観世音)
源平合戦捕虜の悲恋ものがたり跡
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< 写真右の解説ボードの文字起こし >
中座山大聖院教恩寺
[宗旨] 時宗 (じしゅう)
一遍上人がお聞きになった宗派で、
阿弥陀仏のお経をお唱えする事を本分とします。
総本山は藤沢にある遊行寺です。
【本尊 阿弥陀三尊】 (神奈川県指定文化財)
阿陀如来立・観音菩薩・姿勢菩薩の立像で
源頼朝が平重衡に平家の菩提を弔うように与えられたと伝わる。
【山門】
正面にに十六羅漢、裏面に牡丹彫刻がしてあるのが見所である。
【開基・開山】
開基は北条氏康
(1515~1571年 ・小田原北条の三代目当主、
元亀2年10月21日没 法名大聖院殿東岱公大居士)で、
開山は知阿上人と伝わる。
その昔は、浄土宗大本山である材木座の光明寺内にあったが、
延宝6年(1678年) 上人の ※※上人の時に現在地に移されたと伝わっています。
<※印)文字起こし時、判読不能>
【平重衛とのゆかり】
平重衛は、平清盛の子(5男)で、その容姿を牡丹の花にえられ、
ユーモアのセンスもある優しく爽やかで、
しかも凛々しくしく武勇を誇る平家の副将軍だったといいます。
重衡は、源平ので平氏が敗れ撤退の際、梶原景時に捕らえられ、
鎌倉へ護送されたのですが、
源頼朝の尋問に対しても武将らしい堂々たる態度と、
優雅な物腰の立派な人柄は頼朝を驚嘆させ、
捕虜の身でありながら特別な待遇を受け、
頼朝の仕女である干手(千住手の前)を侍らし酒宴を許されたという。
この酒宴が縁で重衡と千手の二人は恋に落ち、
重衡が護送されるまでのつかの間、
癒やされた日を過ごす事が出来たといわれます。
やがて、重衡は奈良へ送され、
文治元年(1185年) 6月23日、木津川のほとりで 斬首処刑されたのですが、
その後の千手の足取りは定かではなく、悲しみのあまり床に伏したとも、
又出家したともいわれ、
消息 不明となってしまったと言われる優しい悲恋の逸話があり、
そのまま生涯を閉じたとも、又出したともいわれ、
その酒宴をされた場所が今の教恩寺と伝わっています。
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02) お約束?の山門前から、境内参道を横切る桜の幹越しに本堂方向。
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03) 本堂前で、拝礼 合掌 祈念。
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24.01.03H #鎌倉 「 #教恩寺 」参拝 _ #鎌倉市大町
/ #鎌倉観音巡礼札所 #鎌倉殿の13人 #平重衡
https://mitch1.blog.ss-blog.jp/2024-01-08-5
![マサ](https://minimized.hotokami.jp/2TQkOYeZk96bm7aoV1HXzbmM6RjkMosRnexUfgh_rKs/s:30:30/q:20/plain/https://hotokami.jp/img/parts/hotokamichan-none-profile.png@webp)
妙本寺から歩いて教恩寺を参拝しました。町並みの木々も紅葉してました。参拝後は、鎌倉33観音12番の御朱印を拝受しました。
何気ない街並の紅葉
教恩寺の寺名板
教恩寺の山門
山門上にある十六羅漢像の彫刻
教恩寺の由緒
教恩寺の本堂
鎌倉33観音12番の御朱印
![こばけん](https://minimized.hotokami.jp/t8uoAM57q4225SYPMeYiX1tZA0fLksl3bEXmdxxXiHY/s:30:30/q:20/plain/https://hotokami-user.s3.amazonaws.com/20210207-121421_kBlvjhrgqO.jpg@webp)
23.04.25。先の別願寺さんより徒歩7分。鎌倉市大町1丁目のバス通り沿いの小路を入った所にある時宗の寺院。
山号 中座山
院号 大聖院
寺号 教恩寺
創建 不詳(戦国時代)
開基 北条氏康
開山 知阿
本尊 阿弥陀三尊
札所 鎌倉三十三観音霊場
第十二番
【歴史】〜Wikipedia より〜
元々は光明寺の境内に位置しており、現在地には光明寺の末寺の「善昌寺」があった。その後、善昌寺が廃寺となったため、延宝6年(1678)に善昌寺跡地の現在地へ移転した。本尊となっている阿弥陀如来と両脇侍立像は鎌倉時代前期の作といわれている。一説には運慶作ともいわれている。
源平合戦で捕虜となった平重衡が鎌倉に抑留された際、源頼朝は重衡に「一族の冥福を祈るように」と、この阿弥陀如来を拝ませという逸話も伝わっている。
本日は先の別願寺・安養院さんに続き、鎌倉33観音巡礼として参拝。今回で23ヶ所目となりました。今年中には結願をしたいところです。
山門
寺院解説ボード
参道
山門をくぐり左手に《鬼瓦》
山門をくぐり右手に《ペット供養塔》
参道左側のツツジ
本堂
山号額
本堂前より振り返り
勝軍地蔵尊
庫裡前の小庭
↓
庫裡方向
右手に御朱印窓口があり、直書きの御朱印を拝受しました。
![mitch](https://minimized.hotokami.jp/X3md3VypewfatMromu0_BNyE7L32AOPwUVa8JOErfmk/s:30:30/q:20/plain/https://hotokami-user.s3.amazonaws.com/20190724-205232_YdG6lLyK0S.jpg@webp)
23.04.21C 鎌倉「教恩寺」参拝、源平合戦捕虜の悲恋ものがたり跡。
ツツジとフジが咲く頃。 _ 鎌倉市大町
< 解説ボードから文字起こし >
中座山大聖院教恩寺
[宗旨] 時宗 (じしゅう)
一遍上人がお聞きになった宗派で、
阿弥陀仏のお経をお唱えする事を本分とします。
総本山は藤沢にある遊行寺です。
【本尊 阿弥陀三尊】 (神奈川県指定文化財)
阿陀如来立・観音菩薩・姿勢菩薩の立像で
源頼朝が平重衡に平家の菩提を弔うように与えられたと伝わる。
【山門】
正面にに十六羅漢、裏面に牡丹彫刻がしてあるのが見所である。
【開基・開山】
開基は北条氏康
(1515~1571年 ・小田原北条の三代目当主、
元亀2年10月21日没 法名大聖院殿東岱公大居士)で、
開山は知阿上人と伝わる。
その昔は、浄土宗大本山である材木座の光明寺内にあったが、
延宝6年(1678年) 上人の ※※上人の時に現在地に移されたと伝わっています。
<※印)文字起こし時、判読不能>
【平重衛とのゆかり】
平重衛は、平清盛の子(5男)で、その容姿を牡丹の花にえられ、
ユーモアのセンスもある優しく爽やかで、
しかも凛々しくしく武勇を誇る平家の副将軍だったといいます。
重衡は、源平ので平氏が敗れ撤退の際、梶原景時に捕らえられ、
鎌倉へ護送されたのですが、
源頼朝の尋問に対しても武将らしい堂々たる態度と、
優雅な物腰の立派な人柄は頼朝を驚嘆させ、
捕虜の身でありながら特別な待遇を受け、
頼朝の仕女である干手(千住手の前)を侍らし酒宴を許されたという。
この酒宴が縁で重衡と千手の二人は恋に落ち、
重衡が護送されるまでのつかの間、
癒やされた日を過ごす事が出来たといわれます。
やがて、重衡は奈良へ送され、
文治元年(1185年) 6月23日、木津川のほとりで 斬首処刑されたのですが、
その後の千手の足取りは定かではなく、悲しみのあまり床に伏したとも、
又出家したともいわれ、
消息 不明となってしまったと言われる優しい悲恋の逸話があり、
そのまま生涯を閉じたとも、又出したともいわれ、
その酒宴をされた場所が今の教恩寺と伝わっています。
01-1) 時宗 「 中座山大聖院教恩寺 」 _ 鎌倉市大町
お約束?の山門前から、
境内参道を横切る桜の幹越しに本堂方向。
鎌倉観音巡礼 第12番札所(聖観世音)
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01-2) 教恩寺解説ボード
< 文字起こし > 中座山大聖院教恩寺
[宗旨] 時宗 (じしゅう)
一遍上人がお聞きになった宗派で、
阿弥陀仏のお経をお唱えする事を本分とします。
総本山は藤沢にある遊行寺です。
【本尊 阿弥陀三尊】 (神奈川県指定文化財)
阿陀如来立・観音菩薩・姿勢菩薩の立像で
源頼朝が平重衡に平家の菩提を弔うように与えられたと伝わる。
【山門】
正面にに十六羅漢、裏面に牡丹彫刻がしてあるのが見所である。
【開基・開山】
開基は北条氏康
(1515~1571年 ・小田原北条の三代目当主、
元亀2年10月21日没 法名大聖院殿東岱公大居士)で、
開山は知阿上人と伝わる。
その昔は、浄土宗大本山である材木座の光明寺内にあったが、
延宝6年(1678年) 上人の ※※上人の時に現在地に移されたと伝わっています。
<※印)文字起こし時、判読不能>
【平重衛とのゆかり】
平重衛は、平清盛の子(5男)で、その容姿を牡丹の花にえられ、
ユーモアのセンスもある優しく爽やかで、
しかも凛々しくしく武勇を誇る平家の副将軍だったといいます。
重衡は、源平ので平氏が敗れ撤退の際、梶原景時に捕らえられ、
鎌倉へ護送されたのですが、
源頼朝の尋問に対しても武将らしい堂々たる態度と、
優雅な物腰の立派な人柄は頼朝を驚嘆させ、
捕虜の身でありながら特別な待遇を受け、
頼朝の仕女である干手(千住手の前)を侍らし酒宴を許されたという。
この酒宴が縁で重衡と千手の二人は恋に落ち、
重衡が護送されるまでのつかの間、
癒やされた日を過ごす事が出来たといわれます。
やがて、重衡は奈良へ送され、
文治元年(1185年) 6月23日、木津川のほとりで 斬首処刑されたのですが、
その後の千手の足取りは定かではなく、悲しみのあまり床に伏したとも、
又出家したともいわれ、
消息 不明となってしまったと言われる優しい悲恋の逸話があり、
そのまま生涯を閉じたとも、又出したともいわれ、
その酒宴をされた場所が今の教恩寺と伝わっています。
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02-1) 山門を潜った境内から、本堂方向。 本堂前で、拝礼 合掌。
入院中の友人が早期に退院できますよう祈念いたしました。
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02-2) 立ち入り不可の、庫裡の前庭とを分かつ植栽。
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02-3) 植栽の近景
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03) 見える範囲で、庫裡の前庭左方。
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04) 見える範囲で、庫裡の前庭右方。
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05) もう散ってしまったかナ?とダメモトで観に来た墓地内の藤棚。
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06) 期待以上にフジが咲いていた
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23.04.21C #鎌倉 「 #教恩寺 」参拝、#源平合戦 捕虜の悲恋ものがたり跡。
#ツツジ と #フジ が咲く頃。_ 鎌倉市大町
https://mitch1.blog.ss-blog.jp/2023-04-26-4
/ #鎌倉観音巡礼札所 #2023ツツジ #2023藤 #藤 #鎌倉殿の13人 #平重衡
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23.01.03N 鎌倉「教恩寺」 参拝 _ 鎌倉市大町
_ このページの写真は全て過去ページの何れかと重複する、私的な参拝年月日記録です。
01) 時宗 「 中座山大聖院教恩寺 」 山門 _ 鎌倉市大町
鎌倉観音巡礼 第12番札所(聖観世音)
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02) 山門を潜って、お約束の?水平方向に伸びた桜の木を撮った。
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03) 本堂。 拝礼と合掌。
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23.01.03N #鎌倉 「 #教恩寺 」参拝 _ #鎌倉市大町
https://mitch1.blog.ss-blog.jp/2023-01-09-2
/ #時宗中座山大聖院教恩寺 #中座山大聖院教恩寺
#鎌倉観音巡礼第12番札所 #鎌倉観音巡礼札所
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別願寺さんを後にして、鎌倉駅方面へ戻りつつ、鎌倉三十三観音12番札所の教恩寺さんへ。
住宅街の中なので、ちょっと分かりづらいですが、お肉屋さんの手前を曲がります。
境内は本堂、庫裏、墓苑があるだけの小さなお寺ですが、静かな時間が流れているといった感じ。
本堂は上がれませんが、扉が少しだけ開いております。
御本尊は阿弥陀如来。
鎌倉三十三観音12番札所、教恩寺さんの聖観音様の御朱印です。
神奈川県のおすすめ2選🎌
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