きょうおんじ
御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
教恩寺ではいただけません
広告
教恩寺のお参りの記録(2回目)
投稿日:2023年04月30日(日)
参拝:2023年4月吉日
23.04.25。先の別願寺さんより徒歩7分。鎌倉市大町1丁目のバス通り沿いの小路を入った所にある時宗の寺院。
山号 中座山
院号 大聖院
寺号 教恩寺
創建 不詳(戦国時代)
開基 北条氏康
開山 知阿
本尊 阿弥陀三尊
札所 鎌倉三十三観音霊場
第十二番
【歴史】〜Wikipedia より〜
元々は光明寺の境内に位置しており、現在地には光明寺の末寺の「善昌寺」があった。その後、善昌寺が廃寺となったため、延宝6年(1678)に善昌寺跡地の現在地へ移転した。本尊となっている阿弥陀如来と両脇侍立像は鎌倉時代前期の作といわれている。一説には運慶作ともいわれている。
源平合戦で捕虜となった平重衡が鎌倉に抑留された際、源頼朝は重衡に「一族の冥福を祈るように」と、この阿弥陀如来を拝ませという逸話も伝わっている。
本日は先の別願寺・安養院さんに続き、鎌倉33観音巡礼として参拝。今回で23ヶ所目となりました。今年中には結願をしたいところです。
山号 中座山
院号 大聖院
寺号 教恩寺
創建 不詳(戦国時代)
開基 北条氏康
開山 知阿
本尊 阿弥陀三尊
札所 鎌倉三十三観音霊場
第十二番
【歴史】〜Wikipedia より〜
元々は光明寺の境内に位置しており、現在地には光明寺の末寺の「善昌寺」があった。その後、善昌寺が廃寺となったため、延宝6年(1678)に善昌寺跡地の現在地へ移転した。本尊となっている阿弥陀如来と両脇侍立像は鎌倉時代前期の作といわれている。一説には運慶作ともいわれている。
源平合戦で捕虜となった平重衡が鎌倉に抑留された際、源頼朝は重衡に「一族の冥福を祈るように」と、この阿弥陀如来を拝ませという逸話も伝わっている。
本日は先の別願寺・安養院さんに続き、鎌倉33観音巡礼として参拝。今回で23ヶ所目となりました。今年中には結願をしたいところです。
山門
寺院解説ボード
参道
山門をくぐり左手に《鬼瓦》
山門をくぐり右手に《ペット供養塔》
参道左側のツツジ
本堂
山号額
本堂前より振り返り
勝軍地蔵尊
庫裡前の小庭
↓
↓
庫裡方向
右手に御朱印窓口があり、直書きの御朱印を拝受しました。
右手に御朱印窓口があり、直書きの御朱印を拝受しました。
すてき
投稿者のプロフィール
こばけん1121投稿
ホトカミ見ました! で広がるご縁
ホトカミを見てお参りされた際は、もし話す機会があれば住職さんに、「ホトカミ見てお参りしました!」とお伝えください。
住職さんも、ホトカミを通じてお参りされる方がいるんだなぁと、ホトカミ無料公式登録して、情報を発信しようという気持ちになるかもしれませんし、
「ホトカミ見ました!」きっかけで豊かな会話が生まれたら、ホトカミ運営の私たちも嬉しいです。