らいこうじ|時宗|満光山
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楽しみ方来迎寺(西御門)のお参りの記録一覧

鎌倉十三佛霊場、鎌倉三十三観音霊場、鎌倉二十四地蔵霊場の札所として知られる来迎寺をお参りしました。西御門の細い坂道を進んだ谷戸のいちばん奥に、静かに寺院が佇んでいます。鎌倉の中心部からほど近いとは思えないほどの落ち着いた空気で、谷戸ならではの静寂がひろがっていました。
本堂に安置される仏像群は、決められた参拝日と予約が必要とのことで、今回は拝観が叶わず。それでも庫裏の前では、黄色い花をつけたツワブキが可憐に咲き、晩秋の訪れを感じさせてくれました。
御朱印は丁寧に対応していただき、静かな谷戸に似つかわしい、落ち着いた時間を過ごすことができました。


神奈川県 鎌倉市 西御門に境内を構える、満光山 来迎寺 (鎌倉市西御門)2024 に鎌倉三十三ヶ所観音霊場巡礼にて参拝致しました、どの様な寺院か引用を用いて調べて見ました、山号は満光山、寺号は来迎寺、宗旨 宗派は時宗、ご本尊は阿弥陀如来、鎌倉三十三ヶ所観音霊場 第五番札所 如意輪観世音菩薩、鎌倉十三仏霊場 第十番札所 阿弥陀如来、鎌倉二十四地蔵霊場 第二番札所、永仁元年(1293)の鎌倉大地震で亡くなった村民を供養するため、一向上人によって創建されました。『西御門』という地名は、源頼朝公が開いた大蔵幕府(現在の清泉小学校の校地周辺)の西門があったことからその名が付けられました。
ご本尊は阿弥陀如来です。客仏として如意輪観世音菩薩、岩上地蔵菩薩、跋陀婆羅尊者が祀られています。 如意輪観音は、鎌倉地方独特の「土紋装飾」という技法を施した像で、源頼朝の持仏堂(法華堂)にあったものと伝えられている。「地蔵菩薩像」は、宅間浄宏作と伝えられ、廃寺となった報恩寺の本尊だったものです、客仏の三体は、源頼朝公の持仏堂の後身である、法華堂(現在の源頼朝公の墓所付近)に安置されておりましたが、明治初年の神仏分離令を機に来迎寺へ移されました











瑞泉寺を後に徒歩にて鎌倉宮まで戻り大塔宮(鎌倉宮)から岐れ道(バス停)まで乗車する。 バス停から徒歩にて来迎寺を目指し参拝しました。
来迎寺は鎌倉市西御門にある時宗の寺院です。
永仁元年(1293年)の鎌倉大地震で亡くなった村民を供養するため一向上人によって創建されました。
西御門という地名は、源頼朝公が開いた大蔵幕府の西門にあったことから名が付けられました。
御本尊は、如意観世音菩薩、岩上地蔵菩薩、跋陀婆羅尊者が祀られています。
【宗旨】時宗 藤沢山清光寺末
【創建】永仁元年(1292年)
【本尊】阿弥陀如来
【開山】一向
【開基】不詳
【山号】満光山
(鎌倉の寺院と札所巡りby鎌倉PRESSから抜粋です)
◯参拝者が他に居なかったので3つの札所の御朱印をお願いした所、大丈夫でした。(住職さんありがとうございます)

来迎寺への石段参道

来迎寺の札所標

来迎寺の山号標と寺号標

長い参道

来迎寺の本堂


来迎寺・本堂の扁額

来迎寺の寺務所

鎌倉13仏(10番)の御朱印

鎌倉33観音(5番)の御朱印

鎌倉24地蔵尊(2番)の御朱印

23.03.29。先の鶴岡八幡宮の境外末社の今宮から徒歩20分。鎌倉市西御門1丁目の閑静な住宅地にある時宗の寺院。
山 号 満光山
創 建 永仁元年(1293年)
開 山 一向上人
本 尊 阿弥陀如来
札所等 鎌倉十三佛霊場
第十番
鎌倉三十三観音霊場
第五番
鎌倉二十四地蔵尊霊場
第ニ番
【縁起】〜当寺HPより〜
永仁元年の鎌倉大地震で亡くなった村民を供養するため、一向上人によって創建されました。『西御門』(にしみかど)と言う地名は、源頼朝公が開いた大蔵幕府(現在の清泉小学校の校地周辺)の西門があったことからその名が付けられました。
2年前の初回参詣時は鎌倉十三佛霊場とし参詣。今回は鎌倉三十三観音及び鎌倉二十四地蔵尊としての御朱印を拝受。本堂内拝観は事前予約制とは知りながら忘れていました😢 鎌倉は来る機会が多いのでいつかは是非拝観したいと思います。

鎌倉三十三観音の御朱印

鎌倉二十四地蔵尊の御朱印

寺院への途上に石碑

入り口



山門

宗紋




本堂
↓

山号額


本堂裏手の山裾

本堂前より庫裡方向

庫裡前の庭
神奈川県のおすすめ3選❄️
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