八坂大神は、「相馬天王」と称された扇ヶ谷の鎮守。
相馬次郎師常が自邸(巽荒神脇)の守り神として勧請したのが始まりとされる。
のちに浄光明寺の裏山(網引地蔵の西)に遷され、
さらに壽福寺の本堂脇を経て現在の地に遷された。
明治の神仏分離により八坂大神に改称。
観光客に人気の銭洗弁財天宇賀福神社は、
1970年(昭和45年)まで八坂大神の末社だった。
八坂大神の例祭は7月12日
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< 境内の解説ボードから引用 >
建久3年相馬次郎師常、己が邸内に守護神として勧請して崇敬したのに始まる。
その後現在の地に奉遷する。
世に相馬天王と称するのはこの故である。
神幸式は5日12日の両日に行われていたが、今では12日のみとなった。
中世御神幸の神輿荒ぶるを以て師常館の岩窟に納め新たに調進したと傳へられる。
独特の六角神輿は宗社である京都祇園八坂神社の形を伝承したものである。
享和元年、慶應元年に社殿の改築が行われた。明治6年村社に列格される。
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< 神奈川県神社庁Webサイトからの引用:
https://www.kanagawa-jinja.or.jp/search_dtl.php4?jid=422&cd=1205035 >
建久3(1192)年相馬次郎師常が自邸(巽神社の脇)の守護神として勧請したが、
後に網引地蔵の西の山麓に遷され、更に寿福寺本堂の脇を経て現在地に奉還された。
世俗に「相馬天王」と称され、爾来、扇が谷の鎮守として崇敬される。
享和元(1801)年及び慶応元(1865)年に改築があり、
明治2年神仏分離に際して「八坂大神」と改称、同6年村社に列格した。
中世、御神幸の神輿荒ぶるを以て師常館の岩窟に納め、
別に神輿を調進したと伝えられる。
独特の六角神輿は宗社たる京都八坂神社のそれを伝承したものである。 |