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八雲神社ではいただけません
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八雲神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年03月13日(土)
参拝:2020年2月吉日
八雲神社は、鎌倉市大町にある神社。旧社格は村社。なお、鎌倉市内には八雲神社が4社(大町、西御門、山之内、常盤)ある。
社伝によれば、11世紀後半、源義光が奥州へ向かうのに際し、鎌倉での疫病流行を見て、京都祇園社の主祭神(須佐之男命、稲田姫命、八王子命)を勧請したのが始まり。15世紀前半に義光の子孫・佐竹氏の屋敷の祠が合祀され、佐竹天王と称した。江戸期には鎌倉祇園社、祇園天王社と称したが、明治期に現在の八雲神社に改称。1923年の関東大震災で社殿が倒壊、昭和初期1930年に再建。
当社は、JR鎌倉駅から若宮大路を400m南下し下馬交差点を左折、県道311号を400m進んで左に100mほど入った静かな住宅街の中にある。裏山が祇園山ハイキングコースになっていて境内にその入口があり、背後に小山を擁する神社らしい立地。ほどよい広さの境内に、手入れの行き届いた建物・植栽、神職の方常駐の社務所を考えると、旧社格は村社ではなくワングレード上の郷社ぐらいの立派さ。
参拝時は週末の午前中。他に参拝者はいなかった。
※鎌倉強化合宿2日目午前中、延命寺(鎌倉11番)、教恩寺(鎌倉12番)、別願寺(鎌倉13番)、安養院(鎌倉3番)に続く5寺社目。
社伝によれば、11世紀後半、源義光が奥州へ向かうのに際し、鎌倉での疫病流行を見て、京都祇園社の主祭神(須佐之男命、稲田姫命、八王子命)を勧請したのが始まり。15世紀前半に義光の子孫・佐竹氏の屋敷の祠が合祀され、佐竹天王と称した。江戸期には鎌倉祇園社、祇園天王社と称したが、明治期に現在の八雲神社に改称。1923年の関東大震災で社殿が倒壊、昭和初期1930年に再建。
当社は、JR鎌倉駅から若宮大路を400m南下し下馬交差点を左折、県道311号を400m進んで左に100mほど入った静かな住宅街の中にある。裏山が祇園山ハイキングコースになっていて境内にその入口があり、背後に小山を擁する神社らしい立地。ほどよい広さの境内に、手入れの行き届いた建物・植栽、神職の方常駐の社務所を考えると、旧社格は村社ではなくワングレード上の郷社ぐらいの立派さ。
参拝時は週末の午前中。他に参拝者はいなかった。
※鎌倉強化合宿2日目午前中、延命寺(鎌倉11番)、教恩寺(鎌倉12番)、別願寺(鎌倉13番)、安養院(鎌倉3番)に続く5寺社目。
神社入口。参道はよく掃き清められ、赤い幟がはためいていて、生き生きとしている感じがする。
鳥居をくぐって、参道左手には<手水舎>。
進むにつれ、ちょっとずつ階段を上がっていく。
拝殿正面。左側に写っているのは御神木、その根元には源義光が軽々と持ち上げた伝説のある<手玉石>。
拝殿正面。梁などの彫刻が凝っていて美しい。
境内左手にある<宝物館>。
摂末社群の前には、たくさんの赤い幟。
旗の後ろ側はこんな感じ。
社殿の右側にも摂末社の幟。
鳥居をくぐると<御嶽神社・三峰神社>の碑。
最後にあらためて社殿全景。
境内右手にある<社務所>。御朱印はこちら。
すてき
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惣一郎1269投稿
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