ちょうらくじあと
御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
長楽寺跡<史跡>の編集履歴
2020年11月04日 22時24分
ご由緒
< 碑文 >
嘉禄元年(1225)三月 二位の禅尼政子 頼朝追福の為
笹目が谷辺に於て方八町の地を卜(ぼく:選ぶ)し
七堂伽藍を営みて長楽寺と号す
元弘三年(1333)五月北条執権滅亡の際
兵火に罹(かか)りて焼失せりと 此
の地即ち其の遺址にして 今に小字を長楽寺と呼べり
昭和六年(1931)三月建之 鎌倉町青年団
< 説明 >
長楽寺は、1225年3月に頼朝の妻の政子によって
頼朝の供養(くよう)のため建てられました。
場所は笹目が谷(ささめがやつ)辺りで、
800メートル四方の土地を選び
七堂伽藍(しちどうがらん)を建てました。
その後1333年5月に鎌倉幕府が亡んだ時、
戦火で焼けてしまいました。
この場所がその跡で、
現在でも長楽寺という地名が残っております。
駐車場
なし
トイレ
なし
参拝所要時間
5分
参拝料
なし
ログインすると情報を追加/編集できます。