さきとりじんじゃ
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前鳥神社ではいただけません
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前鳥神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年03月24日(水)
参拝:2021年3月吉日
前鳥神社(さきとり~)は、神奈川県平塚市にある神社。式内社で、相模国四之宮。旧社格は郷社。毎年5月5日に往古神領であった神揃山(神集山;大磯町国府本郷)で行われる国府祭(こうのまち)に参加する相模五社の一社。周辺地名の「平塚市四之宮」は当社に因む。
創建は不詳。社伝によると、応神天皇の皇子・菟道稚郎子命(うじのわきいらつこのみこと)が当地に移り住み、のちに皇子を御祭神として祀ったことに始まるとしている。奈良時代から平安時代にかけて、当地に相模国府が置かれ、当社が国府鎮護として国司により神拝された。『延喜式神名帳』では「相模国大住郡 前鳥神社」と記載されている。10世紀末に国衙が現在の大磯町国府本郷に遷された後は国司巡礼社の第四番に列し、爾来相模国四之宮と称された。
鎌倉時代には源頼朝が北条政子の安産祈願に神馬を奉納し、将軍家祈祷所とされた。その後一時衰退するが、江戸期に入り徳川家康により社領の寄進と朱印状を得て再興し、「四之宮大明神」として身分の上下問わず広く信仰されたとのこと。
当社は、JR東海道線・平塚駅の北4kmの相模川西岸にある。東京から車だと、圏央道・寒川南ICから相模川を渡ってすぐ、およそ2km。南北に長い境内は、長い参道とその両側には社叢があり、正統派の造り。
参拝時は週末の午後で、家族連れ、夫婦・カップル、おひとり様と、参拝者が絶えず訪れていた。
創建は不詳。社伝によると、応神天皇の皇子・菟道稚郎子命(うじのわきいらつこのみこと)が当地に移り住み、のちに皇子を御祭神として祀ったことに始まるとしている。奈良時代から平安時代にかけて、当地に相模国府が置かれ、当社が国府鎮護として国司により神拝された。『延喜式神名帳』では「相模国大住郡 前鳥神社」と記載されている。10世紀末に国衙が現在の大磯町国府本郷に遷された後は国司巡礼社の第四番に列し、爾来相模国四之宮と称された。
鎌倉時代には源頼朝が北条政子の安産祈願に神馬を奉納し、将軍家祈祷所とされた。その後一時衰退するが、江戸期に入り徳川家康により社領の寄進と朱印状を得て再興し、「四之宮大明神」として身分の上下問わず広く信仰されたとのこと。
当社は、JR東海道線・平塚駅の北4kmの相模川西岸にある。東京から車だと、圏央道・寒川南ICから相模川を渡ってすぐ、およそ2km。南北に長い境内は、長い参道とその両側には社叢があり、正統派の造り。
参拝時は週末の午後で、家族連れ、夫婦・カップル、おひとり様と、参拝者が絶えず訪れていた。
鳥居と社号標。南北に長い境内の南端にある。
参道進んで左手にある<四之宮 東町稲荷社>。
参道を半分進んだところにある<二の鳥居>。
二の鳥居の手前右側にある<鐘楼>。神仏習合の名残り。
二の鳥居をくぐると、両側の木々が濃くなり良い雰囲気。
参道左手の<祖霊社>。歴代宮司ほか当社に貢献した者を祀る。
参道左手の<御神木>。
参道左手の<手水処>。
社殿遠景。
拝殿。
拝殿正面。
拝殿内側に掛かる扁額。<左喜登利(さきどり)神社>の文字。
拝殿のすぐ左手にある<授与所>。御朱印はこちら。
社殿の右手にある<神戸(ごうど)神社>。
御祭神は素戔嗚尊と天照皇大御神。
神戸神社の右隣にある<奨学神社>。
元は当社の御祭神・菟道稚郎子命に漢籍を教授したという百済人、阿直岐・王仁を勉学の神として祀っていたところに、1978年境内社天神社を合祀し、御祭神に菅原道真公が加わった。
奨学神社の右隣にある、大きな<社務所・研修殿>。
社務所のそばにある<神楽殿>。子供遊具の存在が疑問であったが、後で裏手に<さきとり幼稚園>があることが判明。納得。
奨学神社の前あたりからの社殿全景。
社殿の左手に回って<本殿>。
社殿の左手奥にある<厄除稲荷社>。江戸後期の1808年に境内鎮護のために京都伏見稲荷大社より勧請。
社殿の左手にある鳥居と社号標。社号標は古そう。
すてき
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惣一郎1269投稿
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