しらはたじんじゃ(しなのしらはたじんじゃ)
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楽しみ方白旗神社(品濃白旗神社)のお参りの記録(1回目)
投稿日:2025年07月18日(金) 19時26分59秒
参拝:2025年7月吉日
神奈川県・東戸塚へ仕事に行った際に参拝⛩️
東戸塚駅徒歩10分弱🚶
梅雨明け宣言あり暑い日でしたが、木陰になっている参道の階段を登っていた時にちょうど良い風が吹いて一服の清涼を感じることができました🙏
入口は別ですが隣に同じ丘の上にイイ感じに寛げそうな公園があり寄ってみたかったのですが、仕事の時間が迫っていたので断念。
東戸塚は遠い昔1997〜1998年頃に住んでいたのですが、神社や公園の存在は知らず。
山と丘が多く坂道だらけな印象は変わりませんでした。
東戸塚駅徒歩10分弱🚶
梅雨明け宣言あり暑い日でしたが、木陰になっている参道の階段を登っていた時にちょうど良い風が吹いて一服の清涼を感じることができました🙏
入口は別ですが隣に同じ丘の上にイイ感じに寛げそうな公園があり寄ってみたかったのですが、仕事の時間が迫っていたので断念。
東戸塚は遠い昔1997〜1998年頃に住んでいたのですが、神社や公園の存在は知らず。
山と丘が多く坂道だらけな印象は変わりませんでした。

鳥居


手水舎

参道

狛犬

拝殿





御由緒
康元元年(一二五六)源義経公を御祭神と崇め創建、御社殿は天正三年、天保十一年に夫々改築された。
白旗とは源平争乱の際、敵味方を区別するための旗の色、平家の赤旗に対する源氏の白旗、源氏そのものを象徴する名である。
源氏の武将が祀られる「白旗」の名の付く神社は全国神社本廳傘下八十余社あり、その内「義経公」を祀る神社は八社であるが由縁は不明である。
天正十九年以来は、営地の知行となった新見氏が明治初頭まで賞神社の興隆に尽力した。
大正十二年関東大震災の際には御社殿は倒壊したが氏子には被害が無かったので、時の部落長が「宮柱うちくだけても倒れても氏子の怪我なきぞ尊き」と献詠し、村人たちは「鎮守さまが身代わりになってくださった」と感激して翌年再建に着工、九月二十八日に竣工しこの日に因んで例祭日となる。
その後八十余年、世の変遷を乗り越えた御社殿も平成十九年十二月不審火により焼失。
然しながら氏子への被害も無く、再び御神威に助けられ、平成二十四年十月氏子の尽力により御社殿を再建した。
【白旗神社と新見氏】
徳川家康との厚い信頼関係を築いていた旗本新見氏は、天正十八年(一五九〇)に新見正勝が相州品濃・山田を領地として家康より賜った後、明治維新に至るまで、変わることなく領地を治めた。
正勝は家督を譲ったのち品濃に隠居、寛永十九年(一六四二) 没後白旗神社脇へ理葬されたと伝えられている。
幕末にはいり、ペリー来航の頃には新見正興が領主となっていた。
安政五年(一八五八)欧米五ヶ国との間に修好通商条約が締結され、翌年、正興は外国奉行に任命された。
そして万延元年(一八六〇)正興は日本初の遣米使節団の正使(主席代表)として、小栗豊後守忠順らと共に条約批准の為の渡米を果たした。
正興は外国奉行と神奈川奉行を兼帯。
幕府の要人を務めながら、白旗神社の興隆にも尽力したと伝えられている。
【御祭神】
みなもとのよしつねのみこと
源義経命
外二柱
天照皇大御神
あまてらすおおみかみ
豊受姫命
とようけひめのみこと
【年間祭事】
初詣
一月随時
祈年祭
四月十一日
(五穀豊穣祈願祭)
夏越し大祓
六月最終日曜日
(年の前半の清祓)
例大祭
九月二十八日
(年一度の神社大祭)
七五三詣
十一月随時
(人生儀礼)
新嘗祭
十一月二十八日
(五穀豊穣感謝祭)
年越し大祓
十二月三十日
(年の後半の清祓)
康元元年(一二五六)源義経公を御祭神と崇め創建、御社殿は天正三年、天保十一年に夫々改築された。
白旗とは源平争乱の際、敵味方を区別するための旗の色、平家の赤旗に対する源氏の白旗、源氏そのものを象徴する名である。
源氏の武将が祀られる「白旗」の名の付く神社は全国神社本廳傘下八十余社あり、その内「義経公」を祀る神社は八社であるが由縁は不明である。
天正十九年以来は、営地の知行となった新見氏が明治初頭まで賞神社の興隆に尽力した。
大正十二年関東大震災の際には御社殿は倒壊したが氏子には被害が無かったので、時の部落長が「宮柱うちくだけても倒れても氏子の怪我なきぞ尊き」と献詠し、村人たちは「鎮守さまが身代わりになってくださった」と感激して翌年再建に着工、九月二十八日に竣工しこの日に因んで例祭日となる。
その後八十余年、世の変遷を乗り越えた御社殿も平成十九年十二月不審火により焼失。
然しながら氏子への被害も無く、再び御神威に助けられ、平成二十四年十月氏子の尽力により御社殿を再建した。
【白旗神社と新見氏】
徳川家康との厚い信頼関係を築いていた旗本新見氏は、天正十八年(一五九〇)に新見正勝が相州品濃・山田を領地として家康より賜った後、明治維新に至るまで、変わることなく領地を治めた。
正勝は家督を譲ったのち品濃に隠居、寛永十九年(一六四二) 没後白旗神社脇へ理葬されたと伝えられている。
幕末にはいり、ペリー来航の頃には新見正興が領主となっていた。
安政五年(一八五八)欧米五ヶ国との間に修好通商条約が締結され、翌年、正興は外国奉行に任命された。
そして万延元年(一八六〇)正興は日本初の遣米使節団の正使(主席代表)として、小栗豊後守忠順らと共に条約批准の為の渡米を果たした。
正興は外国奉行と神奈川奉行を兼帯。
幕府の要人を務めながら、白旗神社の興隆にも尽力したと伝えられている。
【御祭神】
みなもとのよしつねのみこと
源義経命
外二柱
天照皇大御神
あまてらすおおみかみ
豊受姫命
とようけひめのみこと
【年間祭事】
初詣
一月随時
祈年祭
四月十一日
(五穀豊穣祈願祭)
夏越し大祓
六月最終日曜日
(年の前半の清祓)
例大祭
九月二十八日
(年一度の神社大祭)
七五三詣
十一月随時
(人生儀礼)
新嘗祭
十一月二十八日
(五穀豊穣感謝祭)
年越し大祓
十二月三十日
(年の後半の清祓)
すてき
みんなのコメント(4件)
チャムちよはさん
温まるコメントありがとうございます🙏
そうなんです!
最初巳の抜け殻だと思ったのですが、まさか生きているとは思いませんでした😅
感謝です!
2025年07月20日(日) 11時08分01秒
ちよはさん
神様の導きに感謝です😄
ちよはさんにも(御利益🙏)がありますように🙏
2025年07月20日(日) 12時04分09秒
チャムさんありがとうございます🙏
チャムさんとのご縁が私の下半期にも良い影響ありそうです!
2025年07月20日(日) 12時58分19秒
ちよはさん
心温まるコメント頂きありがとうございます🙏
こちらもです。 御利益がありますように🙏
2025年07月20日(日) 13時04分02秒
投稿者のプロフィール

ちよは101投稿
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