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高野山真言宗

弘誓院の編集履歴
2020年10月12日(月)
神奈川県 吉野町駅

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よってぃ
2020年10月12日 17時36分

住所

横浜市南区睦町2-221

編集前:横浜市南区睦町2-221

ご由緒

天文五丙申年(一五三六年)石川帯刀源家重の開基、家重は伯父に当る順清法印を京都より迎え開山とされたと伝える。法印は此の地に下向きの時、聖徳太子・南無佛の像を背負い来り、当寺に安置されたと言い伝えている。
延宝元年(一六七三年)十一月二十四日京都仁和寺総法務官(仁和寺二十二世、後大御室承法法親王)から「妙法山観世音寺」の山号寺号を賜った。元禄三年(一六九〇年)の宝生寺文書「定」に役寺とあり、宝生寺門徒の中、上通りの格式をそなえ、本寺宝生寺の法務を執行し、同寺末寺四十六ヶ寺の触頭であった。
明治七年(一八七四年)本寺の格、宝生寺より増徳院に移るにしたがって増徳院の末寺となる。大正十二年(一九二三年)九月一日関東大震災によって本堂・庫裡全潰す。大正十五年(一九二六年)三月十五日工学博士伊東忠太先生設計の印度風の本堂(七間四方、銅板葺)附属位牌堂(間口五間、奥行三間)の再建成る。同年六月二十九日大本山金剛峯寺の直末となる。昭和四年(一九二九年)庫裡の完成をみる。

昭和二十年(一九四五年)四月十五日の戦災により一切の建物・什物等灰塵に帰す。
大戦後の復興として昭和二十六年(一九五一年)六月本堂(二十坪余)建築、次で同二十九年(一九五四年)庫裡を建築す。

宗祖弘法大師誕生千二百年を記念し、昭和四十四年(一九六九年)新本堂の再建を企て、同四十七年(一九七二年)旧本堂を移築 ー新本堂完成後、釋迦堂とす。ー
同四十九年(一九七四年)八月宝形造新本堂(間口六間、奥行六間)竣工す。翌年庫裡増改築をなし、同五十一年(一九六九年)秋、落慶法要を厳修す。
平成二十四年(二〇一二年)庫裡竣工。同二十六年(二〇一四年)客殿竣工、同五月落慶法要を厳修す。

メールアドレス

guzeiin@yk9.so-net.ne.jp

アクセス

ブルーライン吉野町駅から徒歩12分

参拝時間

御朱印受付時間:8時~17時

創立

1536年(天文五丙申年)

創始者/開山・開基

石川帯刀源家重

巡礼

横浜市内観音三十三ヶ所の第三十番
弘法大師二十一ヶ所の第十番
東国八十八ヶ所の第五十四番の札所
磯子七福神祭詣の福禄寿尊
横浜御朱印めぐり

行事

磯子七福神参り(御開帳1月1日から1月15日まで)
花まつり(4月8日)

御朱印の説明

御朱印中央には、ご本尊「聖観世音菩薩」の文字が書かれています。右上には、弘法大師二十一ヶ所の第十番の印が押されています。

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