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神明社の編集履歴
2020年07月26日 13時50分
ご由緒
今から1000年以上むかし、保土ヶ谷の地が榛谷と呼ばれていた平安時代の中頃、天禄元年(970)当社の御祭神・伊勢の天照大御神が、武州御厨の庄の内、榛谷の峯に影向し、それから川井、二俣川、下保土ヶ谷の宮林へと三遷の後、嘉禄元年(1225)神託があって、神明の下宮を造り、当地を神戸と号し、神宮寺を満福寺と名付け、経蔵堂を神照寺と称したという。これにより榛谷御厨八郷の総鎮守として広大な社領を免ぜられ、宮司以下数十人の禰宜・社人・供僧・巫女が仕え、年に75度の祭祀を営み隆盛を極めたという。
その後、戦乱の時代に一時衰退したが、天正18年(1590)徳川氏入国の時、社殿の造営が行われ、4石1斗の御朱印地が安堵された。また元和元年(1619)宮居を神戸山々頂から現在の場所に遷し、社殿の造営・境内の整備が行われた。
明治2年の修営には、明治天皇御東行の時、本陣苅部清兵衛宅に臨時に建てられた鳳輦安置所の御用材を下賜された。明治6年に村社に列せられ、神饌幣帛料供進の神社に指定された。
平成10年、鎮座1030年祭・当地遷座770年祭・伊勢神宮鎮座2000年祭を記念して「平成の大造営」が行われ、380年ぶりに本社・摂末社・神楽殿等総ての境内建物12棟が一新された。
平成12年、神奈川県神社庁献幣使参向神社に指定された。
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