にしはっさくすぎやまじんじゃ
西八朔杉山神社の編集履歴
ご由緒
杉山神社は現在の横浜市・川崎市を中心に多数ある神社の名前です。ほかには町田市・稲城市にも数社ありますがいづれも鶴見川とその支流域に多く分布しています。
しかも全国的に見てもこの地域にしか存在しないのが杉山神社です。かつて武蔵国(今の東京都、埼玉県、神奈川県の大半がその範囲)のなかで横浜の都筑郡・橘樹郡・久良郡とよばれていた地域です。
神社の数は江戸時代末期に編集された『新編武蔵風土記稿』によると七十二社ですが、その後の合社や名称変更などで、現在は四十余りの杉山神社があるようですが緑区西八朔の杉山神社はその中でも代表的な杉山神社の一つです。
杉山神社の歴史
その歴史は古く、すくなくとも千二百年ほど遡ることが出来ます。平安時代の公的な歴史書『続日本後記』の承和五年(834年)二月二十二日条に、武蔵野国都筑郡杉山神社が霊験により官幣(神への公的な献納物)にあずかったという記事があります。
同じく嘉祥元年に(848年)五月二十二日条には位のなかった杉山神社に従五位下を授けたという記事があります。
また、延長五年(927年)編集の『延喜式』には国家的な祭祀にあずかる神社の一覧表(これに掲載する神社のことを式内社とよびます)がありますが武蔵国四十三社のなかに都筑郡の杉山神社の名前が見えます。
橘樹郡・久良郡には式内社がありませんので、杉山神社は三郡を代表し、国家的にも知られた重要な神社だったことがわかります。祭神は、大和武尊や五十猛とされていますが、確かなことは不明で、もとは杉の生い茂った山そのものを祀った神社だったのかもしれません。
杉山神社の本社
数ある杉山神社、平安時代の歴史書に載る杉山神社はどこなのか。古くからいろいろな説が出されてきましたが、なかなか結論は出ません。
横浜市都筑区中川町、同区勝田町、港北区新吉田町などに所在する杉山神社が候補として挙げられている中、西八朔の杉山神社は最も有力な一社です。八朔が平安時代の『和名類聚抄』に出てくる「都筑郡針斫郷」や鎌倉時代の古文書にある国衙領(武蔵国府の直営地)の「八佐古」に通じる古地名であることなどが根拠とされているのです。
杉山神社と府中六所宮(大國魂神社)
大國魂神社と杉山神社は当初から深い関係にあり、大國魂神社に祀られている八神の一つ六之宮の杉山大神は、西八朔の杉山神社の祭神だとされています。
これは江戸時代末の六所宮の神主だった猿渡盛章の調査によって定められ、以来西八朔の杉山神社と大國魂神社との関係は今に続いています。
五月五日の大國魂神社例大祭「くらやみ祭り」の祭には杉山神社宮司と氏子会の代表が神事に参列し十月一日の杉山神社の例大祭には府中の大國魂神社から神職と六之宮や五六宮太鼓を受け持つ町内の人たちが参列します。
古くは杉山神社のみこしが府中六所宮まで担がれていったという伝承もあります。
武蔵国にあっては格段の由緒を持つ杉山神社と府中六所宮とは、地域の人たちの深い繋がりによって伝統がささえられているのです。