とうぜんじ
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楽しみ方東漸寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2025年12月17日(水) 16時28分15秒
参拝:2025年12月吉日
25.12.15。先の潮田神社より徒歩6分。横浜市鶴見区潮田町3丁目の住宅街の中にある真言宗智山派の寺院。
山号 金胎山
院号 東住院
開創 寛治元年(1087)
開基 勝覚法印
本尊 金剛界大日如来
札所 玉川八十八ヶ所霊場第7番
新四国東国八十八ヶ所霊場
第11番
東海三十三観音霊場第30番
【沿革】〜Wikipedia より〜
平安時代の寛治元年に醍醐三宝院の勝覚により開基されたと伝えられる。その後、火災などで堂宇・什宝・古文書を焼失したため沿革に不詳な点があるが、江戸後期編纂の『新編武蔵風土記』や地誌、寺伝では、村の中央にあり新義真言宗に属し、古くは「薬王山東寿院」と号した旨が記される。江戸時代、本堂は八間に五間の南向きにあり、本尊は江戸初期の作である大日如来の坐像を安置していたという記録が残る。
享保年間に宥長が中興し、明治初年まで鎮守杉山社(現・潮田神社)の別当を兼帯した。
横浜の下町情緒の残る鶴見区潮田町にある900年有余の歴史を刻む寺院らしく、各札所としても地域の人々から親しまれているようです。特に本日は玉川八十八ヶ所霊場の12箇所目として参詣しました。
山号 金胎山
院号 東住院
開創 寛治元年(1087)
開基 勝覚法印
本尊 金剛界大日如来
札所 玉川八十八ヶ所霊場第7番
新四国東国八十八ヶ所霊場
第11番
東海三十三観音霊場第30番
【沿革】〜Wikipedia より〜
平安時代の寛治元年に醍醐三宝院の勝覚により開基されたと伝えられる。その後、火災などで堂宇・什宝・古文書を焼失したため沿革に不詳な点があるが、江戸後期編纂の『新編武蔵風土記』や地誌、寺伝では、村の中央にあり新義真言宗に属し、古くは「薬王山東寿院」と号した旨が記される。江戸時代、本堂は八間に五間の南向きにあり、本尊は江戸初期の作である大日如来の坐像を安置していたという記録が残る。
享保年間に宥長が中興し、明治初年まで鎮守杉山社(現・潮田神社)の別当を兼帯した。
横浜の下町情緒の残る鶴見区潮田町にある900年有余の歴史を刻む寺院らしく、各札所としても地域の人々から親しまれているようです。特に本日は玉川八十八ヶ所霊場の12箇所目として参詣しました。

令和7年12月15日参詣
玉川八十八ヶ所霊場第7番
B5サイズの書き置き御朱印
玉川八十八ヶ所霊場第7番
B5サイズの書き置き御朱印

納経帳表紙

令和7年12月15日参詣
東海三十三観音霊場第30番
書き置き御朱印
東海三十三観音霊場第30番
書き置き御朱印

山門

寺号標

掲示板

寺紋

東潮田稲荷大明神の石碑

境内のフクロウさん

参道

本堂
平成9年(1997)6月1日に落慶法要を大本山川崎大師平間寺のご貫首様を大導師に仰ぎ、執り行なわれたようです。
平成9年(1997)6月1日に落慶法要を大本山川崎大師平間寺のご貫首様を大導師に仰ぎ、執り行なわれたようです。


フクロウさん

本堂左側

本堂下
不動堂入り口
不動堂入り口

修行大師尊像
↓
↓

縁起

庚申塔
安永7年(1778)10代将軍徳川家治時代の作。
安永7年(1778)10代将軍徳川家治時代の作。

六地蔵

客殿・寺務所
書き置きの御朱印を拝受しました。
書き置きの御朱印を拝受しました。

墓地裏の駐車場の看板



ペットの供養塔

すてき
投稿者のプロフィール

こばけん1332投稿
2020年12月に西国33観音霊場の結願。過去の秩父34観音、坂東33観音と合わせて日本百観音霊場の結願成就。2021年から居住地の神奈川県内並びに東京都内の寺社巡りを始めました。移動は運転免許...もっと読む
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