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2023年03月27日(月) 20時09分 by飛熊z
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天德寺は、佛海山寶光院と號し、中區本牧町字天德寺七百十二番地にある。境内は四百九坪三合九勺、丘陵の半腹にある。 市内增德院の末、寺格は十一等、市内觀音三十三所の第十七番の札所、叉、弘法大師二十一箇所の第二十番の靈場に數へられてゐる。 沿革 開基不詳。寛永十年二月十五日議定の關東古義眞言宗本末帳に、寶生寺の末寺と載せてある。元は字、宮原の海岸にあつたが、元祿十三年、第九世榮賢法印の代に、今の境内に移つた。本尊は不動明王、元祿十四年、脇士二童子造立。 第十二世實城法印の代、寶暦年中に、堂宇再建。寛保年中、客殿造立。 寶暦三年、庫裡造立。明治維新までは境内に飯繩權現を祀り、又、吾妻權現社・牛頭天王社の別當を兼ね、地藏堂をも進退して居た。 明治の初年は無住であつたので、北方村東漸寺で兼帶され、明治七年に市内增德院の末寺となつた。 同四十一年、本堂の增築を遂げたが、大正十二年九月一日の大震災に罹つて、堂宇は悉く倒潰した。 其後、再建したのが今の本堂である。 本尊 本尊は不動明王の立像、高二尺八寸、弘法大師作と傅へられてゐる。脇士二童子の立像は、高一尺四寸、元祿十四年の造立で、體内に造像銘記がある。脇本尊は、地藏菩薩立像・如意輪觀音坐像・弘法大師像・阿彌陀如來像・聖觀音立像等である。 堂宇 今の堂宇は、本堂(間口四間、奥行五間、亞沿葺。)ばかりである。 元の本堂は、寶暦年間の再建で、間口八間半、奥行六間半。 明治四十一年、間口三間、奥行三間半增築。庫裡は寶暦三年の再建で、間口五間、奥行七間。 關玄は間口奥行共一間半であつたが、何れも大震災に倒潰、今の本堂は震災直後の造立である。 境内佛堂 地藏堂は字宮原の本寺の舊跡にある。大正十四年中に廢し、本像を本堂内に安置してある。 新編武藏風土記稿に、除地三畝と見える。本尊地藏菩薩は、彩色を施した木彫の立像である。 享和四年鑄造の梵鐘があつたが、大正七年に本寺に移された。(「横浜市史稿 佛寺編」より) https://tesshow.jp/yokohama/nishi/temple_wada_tentok.html
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不動明王
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御本尊 不動明王立像 脇本尊 地藏菩薩立像・如意輪觀音坐像・弘法大師像・阿彌陀如來像・聖觀音立像
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https://tesshow.jp/yokohama/nishi/temple_wada_tentok.html
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横浜市営バス105、101系統 本牧宮原バス停から3分
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横浜市営バス105、101系統 本牧宮原バス停から3分
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新四国東国八十八ヵ所霊場43番札所 横浜観音三十三観世音霊場第17番札所 横浜弘法大師二十一ヵ所第20番札所
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新四国東国八十八ヵ所霊場43番札所 横浜観音三十三観世音霊場第17番札所 横浜弘法大師二十一ヵ所第20番札所