もりとだいみょうじん(もりとじんじゃ)
森戸大明神(森戸神社)の編集履歴
通称
森戸神社(もりとじんじゃ)
郵便番号
240-0012
ご由緒
< 公式HPの解説を引用; http://www.moritojinja.jp/about/gosaishin.html >
.
永暦元年(1160年) 平治の乱に敗れ伊豆に流された源頼朝公は、
三嶋明神(現在の静岡県・三嶋大社)を深く信仰し源氏の再興を祈願しました。
治承4年(1180年) そのご加護により旗挙げに成功し天下を治めた頼朝公は、
鎌倉に拠るとすぐさま信仰する三嶋明神の御分霊を
鎌倉に近いこの葉山の聖地に歓請し長く謝恩の誠をささげたと伝えられています。
「吾妻鏡」によれば、
歴代将軍自らこの地を訪れ 流鏑馬、笠懸、相撲などの武事を行ったといいます。
災厄が生じると加持祈祷が行われ七瀬祓の霊所としても重要な地であったと記され、
源氏はもとより鎌倉要人からも篤い信仰があり、
特に三浦党の祈願所でもありました。
また 北条、足利諸氏の崇敬も篤く、
天正19年(1591年)には徳川家康公より社領七石が寄進されました。
延宝2年(1674年)に徳川光圀公、
明治25年(1892年)には英照皇太后陛下のご参拝を仰ぎました。
現在も葉山の総鎮守として、
町内はもとより近郷近在より多くの参拝者が訪れています。
編集前:< 公式HPの解説を引用; http://www.moritojinja.jp/about/gosaishin.html >
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永暦元年(1160年) 平治の乱に敗れ伊豆に流された源頼朝公は、
三嶋明神(現在の静岡県・三嶋大社)を深く信仰し源氏の再興を祈願しました。
治承4年(1180年) そのご加護により旗挙げに成功し天下を治めた頼朝公は、
鎌倉に拠るとすぐさま信仰する三嶋明神の御分霊を
鎌倉に近いこの葉山の聖地に歓請し長く謝恩の誠をささげたと伝えられています。
「吾妻鏡」によれば、歴代将軍自らこの地を訪れ 流鏑馬、笠懸、相撲などの武事を行ったといいます。
災厄が生じると加持祈祷が行われ七瀬祓の霊所としても重要な地であったと記され、
源氏はもとより鎌倉要人からも篤い信仰があり、特に三浦党の祈願所でもありました。
また 北条、足利諸氏の崇敬も篤く、天正19年(1591年)には徳川家康公より社領七石が寄進されました。
延宝2年(1674年)に徳川光圀公、明治25年(1892年)には英照皇太后陛下のご参拝を仰ぎました。
現在も葉山の総鎮守として、町内はもとより近郷近在より多くの参拝者が訪れています。
電話番号
046-875-6097(午前9時~午後4時)
編集前:046-875-2681(午前9時~午後4時)
メールアドレス
moritojinnjya@hotmail.co.jp
参拝料
なし(志納)
編集前:なし