くりはまてんじんじゃ
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楽しみ方久里浜天神社のお参りの記録(6回目)
投稿日:2025年08月08日(金) 00時58分11秒
参拝:2024年11月吉日
久里浜天神社に鎮座する「菅公騎牛像」。その名の通り、菅原道真公が牛にまたがる姿をかたどった銅像である。威厳を湛えつつも、どこか親しみのあるその姿にしばし見入った。もっとも、こうした「騎牛像」はどちらかといえば少数派のようで、これまで各地の天満宮を訪れてきた経験からしても、牛のみが単独で鎮座する「撫で牛」のほうが目にする機会はずっと多い。
本来ならば、せっかくの機会に道真公ご本人の像に触れて、特に頭をそっと撫でて知恵を授かりたいところだったが、高さがあって容易には届かず、残念ながら断念。とはいえ、手が届く範囲で可能な限り丁寧に牛像を撫でさせていただき、感謝の気持ちを胸にその場をあとにした。
ふと顔を上げると、神社のすぐ向かいに広がるのは、日用品から生鮮食品まで何でもそろう大型スーパー。その店先では、当然のように牛肉が陳列され、買い物客たちが手に取っていた。神社で神聖な動物として扱われている牛と、食材として日常の中に存在している牛。この対比に、一瞬不思議な感覚を覚える。
だが、そうした矛盾をあえて矛盾とせず、共存を自然なものとして受け入れるのが神道というものの特徴なのかもしれない。牛は神の使いとして敬われるが、それと同時に、人の暮らしを支える存在でもあるという現実を否定することはない。どちらか一方だけを崇め奉るのではなく、あるがままを受け入れ、折り合いをつけながら共に生きていく。その柔らかさ、しなやかさに、どこか自分の価値観とも重なるものを感じた。
神前で手を合わせ、スーパーの前を通り過ぎる――それらは決して矛盾する行為ではなく、むしろひとつの連続した日常の光景なのだと、そんなふうに思えた。
本来ならば、せっかくの機会に道真公ご本人の像に触れて、特に頭をそっと撫でて知恵を授かりたいところだったが、高さがあって容易には届かず、残念ながら断念。とはいえ、手が届く範囲で可能な限り丁寧に牛像を撫でさせていただき、感謝の気持ちを胸にその場をあとにした。
ふと顔を上げると、神社のすぐ向かいに広がるのは、日用品から生鮮食品まで何でもそろう大型スーパー。その店先では、当然のように牛肉が陳列され、買い物客たちが手に取っていた。神社で神聖な動物として扱われている牛と、食材として日常の中に存在している牛。この対比に、一瞬不思議な感覚を覚える。
だが、そうした矛盾をあえて矛盾とせず、共存を自然なものとして受け入れるのが神道というものの特徴なのかもしれない。牛は神の使いとして敬われるが、それと同時に、人の暮らしを支える存在でもあるという現実を否定することはない。どちらか一方だけを崇め奉るのではなく、あるがままを受け入れ、折り合いをつけながら共に生きていく。その柔らかさ、しなやかさに、どこか自分の価値観とも重なるものを感じた。
神前で手を合わせ、スーパーの前を通り過ぎる――それらは決して矛盾する行為ではなく、むしろひとつの連続した日常の光景なのだと、そんなふうに思えた。
すてき
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ヒナメリ477投稿
鉄道(乗り鉄)とスポーツ観戦(野球、競輪、競馬、アメフト、ラグビー、など)が趣味で、その旅の中で風景印を集めています。そのついでに神社仏閣にも足を運んでいます。格式があるとされる神社から町や村の...もっと読む
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