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東福寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年12月14日(土)
参拝:2024年12月吉日
三浦三十八地蔵尊霊場 第三十三番、三浦三十三観音霊場 第十三番の札所になります。
関東大震災で数多くの古文書が失われたため寺の歴史も、昔のことはよくわかっていません。しかし、明応末年(1500)に明応上人というお方の手で初めて建てられたことは確かなようです。
当時は本堂も大悲閣の場所にあったようですが、享保年間(1716-35 )に現在の場所へ移されたとのことです。
創建当初は真言宗だったと思われ、のちに曹洞宗にあらためられました。開山は一機真宗和尚(いつきじきしゅうおしょう)と申されるお方です。
(『三浦の三十三観音』より)
叶神社様の裏にあり、気になったので立ち寄りお参りしました。観音堂の向拝の龍は、安房の名工「波の伊八」こと初代武志伊八郎作とのことです。
関東大震災で数多くの古文書が失われたため寺の歴史も、昔のことはよくわかっていません。しかし、明応末年(1500)に明応上人というお方の手で初めて建てられたことは確かなようです。
当時は本堂も大悲閣の場所にあったようですが、享保年間(1716-35 )に現在の場所へ移されたとのことです。
創建当初は真言宗だったと思われ、のちに曹洞宗にあらためられました。開山は一機真宗和尚(いつきじきしゅうおしょう)と申されるお方です。
(『三浦の三十三観音』より)
叶神社様の裏にあり、気になったので立ち寄りお参りしました。観音堂の向拝の龍は、安房の名工「波の伊八」こと初代武志伊八郎作とのことです。
本堂
宝暦9年(1759)の創立ですが関東大震災で半壊してしまい、現在の観音堂は昭和46年11月建立になります。
こちらの観音様は、江戸時代初期に西浦賀港で手広く営業していた、淡路屋治兵衛という廻船問屋の船が大阪からの帰路、熊野灘で台風にあい沈没しかけたところを観音様に助けていただいたとの由来で安置されています。
こちらの観音様は、江戸時代初期に西浦賀港で手広く営業していた、淡路屋治兵衛という廻船問屋の船が大阪からの帰路、熊野灘で台風にあい沈没しかけたところを観音様に助けていただいたとの由来で安置されています。
安房の名工「波の伊八」の彫刻
すてき
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ひなぎく541投稿
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