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2025年04月06日(日) 15時37分 byひなぎく
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総林山龍泉寺という山号は、総は総世寺の総、龍は天龍山の龍、泉は東泉院の泉からとってできたのだという説がある。弘治元年(1555)春、同じ久野にある総世寺の第8世大岳宗純禅師が建立したという。欠ノ上の観音堂は、禅誓上人が当地方教化の足場であった。御本尊の観音菩薩は、禅誓さん自作で、しかも長い旅を背中の笈に背負って歩かれた貴重な御仏である。観音様の背中にある鉄製の環がそれを物語っている。此所の観音堂には、どういうわけか隠れキリシタン信仰を思わせる痕跡も残っている。かつて御前立の仏の御手にクルスのついた数珠がかけられていたり、子育て地蔵のあり方や境内に立つ、中興住職の墓碑の法号が「骨相紋随庵主 寛政十一年八月」コスモスと訓む由。などである。 本尊は、12年毎に御開帳する。
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総林山龍泉寺という山号は、総は総世寺の総、龍は天龍山の龍、泉は東泉院の泉からとってできたのだという説がある。弘治元年(1555)春、同じ久野にある総世寺の第8世大岳宗純禅師が建立したという。欠ノ上の観音堂は、弾誓上人が当地方教化の足場であった。御本尊の観音菩薩は、弾誓さん自作で、しかも長い旅を背中の笈に背負って歩かれた貴重な御仏である。観音様の背中にある鉄製の環がそれを物語っている。此所の観音堂には、どういうわけか隠れキリシタン信仰を思わせる痕跡も残っている。かつて御前立の仏の御手にクルスのついた数珠がかけられていたり、子育て地蔵のあり方や境内に立つ、中興住職の墓碑の法号が「骨相紋随庵主 寛政十一年八月」コスモスと訓む由。などである。 本尊は、12年毎に御開帳する。